
現在、100m走、200m走、400m走、4×100mリレー、4×400mリレーなどのスタートには、スターティングブロックが使用されている。スターティングブロックとは、クラウチングスタートの姿勢をとる際、足が滑らないように止めるための機器であり、前後の足を置く位置や角度を細かく調整できる。
日本では第2次世界大戦後の1945年に初めて使用された。戦前にはスターティングブロックは存在せず、レーン横に小さなスコップがあり、競技者が足の位置に合わせて自分で穴を掘っていたそうだ。
一定の圧力かかると動作判定
1972年のミュンヘン五輪からは、このスターティングブロックに反応時間を見るシステムが組み込まれ、不正スタートを判断する機器としての役割も担っている。選手の両足で蹴られた瞬間をこの機器が検出する。スイスのオメガが開発したものが、五輪ではよく使われている。
選手が足を置くフットプレートは、圧力センサーにつながっている。当初開発された装置では、この圧力センサーで得られる圧力が、あらかじめ設定した値以上になったら「スタートした」と判断する方式だった。
不正スタートを判断する基準は、前述のようにスターターが引き金を引く「ドン」から競技者がスタートするまでが、0.1秒未満かどうかである。医学的に音を聞いてから反応するまで人間では0.1秒以上かかるとされており、0.1秒より速い反応時間を示す競技者の実例はない。もし「ドン」から0.1秒未満でスタートしていたら、「ドン」を聞く前からスタート動作を起こしていることになる。
そのため、競技者がスタートしたのが「ドン」からどのくらい経過した時点なのかを特定することは、極めて重要だ。
スタートでは、合図を聞いてから動作を起こさねばならない。合図を聞く前に見込みで動き始めるのは、物理的な目に見える動き始めが「ドン」の後になったとしても、失格だ。歴代の五輪でも、優勝者の反応時間は、全員0.1秒以上かかっている。
ソウル五輪ではカナダのベン・ジョンソン選手が9.79秒という驚異的な記録で優勝した後、禁止薬物の検出により金メダルが剥奪されたが、そのジョンソン選手でさえスタートの反応時間は0.132秒だった。
当初開発されたスターティングブロックは、圧力が一定値に達したことを検出する方式のため、次のような問題があった。
1. 競技者がスタート前の「用意」の姿勢で静止していても、スターティングブロックのフットプレートが設定値以上の圧力で後方に押されると、スタート動作と判断してしまう。
2. 強く一気にブロックを蹴るタイプの競技者と、比較的じわっと蹴るタイプの競技者では、スタート動作を起こした時点が同じでも、装置がそれを認めるまでに時間的な差が生じる。つまり、スタート時にブロックを蹴る力の立ち上がりの速さの違いによって、スタート時点の判定に差が生じる(グラフB)。
3. スタート時にブロックを蹴る力が小さいと、設定した圧力値に達しないので、スタートの動作を検出できない(グラフC)。
4. 競技者が「用意」の姿勢において意識的に動いても、フットプレートを後方へ押す圧力が設定値以下なら不正スタートと判定できない。
圧力の波形捉えて判断正確に
この点の信頼性を高めるため、野崎忠信・明星大元教授と横倉三郎・明星大教授らの研究グループが改良を加えた。圧力が変化する波形を捉え、これを分析することでスタート時点を特定する。95年のイエーテボリ世界陸上競技選手権大会において初めて使用された。
「位置について」や「用意」でのスタート準備動作と、スタート動作とでは、波形に現れる周波数成分が異なる。前者は1~2Hz(ヘルツ)、後者は5Hz以上だ。このことから、改良型システムでは周波数成分とそのエネルギーの大きさを常時分析し、5Hz以上の成分について一定以上のエネルギーの変化が見られた時点をスタート動作の開始としている。
この特許は現在セイコーホールディングスに譲渡されており、世界陸上競技選手権大会で採用されている。
信号機と不正スタート発見装置は一体となっている。当然ながら、信号機は計時システムの時計を起動する役割もあるため、全体が一つの大きなシステムになっているわけだ。
ただし機器の性能が良くなっても、100%ではない。99%は正しくても1%は正確に判定できない場合もあるため、“装置任せ”は危険だ。「ベテランスターターは、不正スタート発見装置に負けない目を持っている」と野崎氏は言う。装置はあくまで参考であって、最終的にはスターターが目で見て判断している。
(次回に続く)
(日本文理大学特任教授 北岡哲子)
[日経テクノロジーオンライン2017年4月27日の記事を再構成]