よみがえる20世紀の名演 園田、山田&クライバー
クラシックCD・今月の3点 『音』故知新編
園田高弘(ピアノ)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(シューマン、ブラームス1番)、イルジー・コウト(ブラームス2番)指揮NHK交響楽団
1964年の東京五輪の年、ドイツの名指揮者サヴァリッシュ(1923~2013年)がNHK交響楽団(N響)へ初めて客演した際、園田(1928~2004年)はシューマンの協奏曲の独奏を務めた。N響との共演歴は東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)を卒業した48年にさかのぼり、当時の日本人ピアニストとしては傑出した技巧ゆえか、ロシアや米国の近代音楽も数多く手がけた。60年代以降は旧西独に居を構え、サヴァリッシュとの共演前後を境に、ドイツ音楽の大家の風貌を備えていった。
「NHK交響楽団創立90周年記念シリーズ」に加わった2枚組のCDには、記念すべき64年のシューマンのほか、69年のブラームスの第1協奏曲がサヴァリッシュの指揮で収められている。いずれも園田40代、壮年期の演奏で、馥郁(ふくいく)たるロマンの香りよりは厳格かつ正確な様式感、端正な表情が際立つ。指揮者も基本的に、同方向の音楽性で独奏を支え、N響をきっちり締めている。
同じブラームスでも第2協奏曲は99年、71歳の演奏。パートナーは当初、サヴァリッシュとともにN響名誉指揮者の地位にあったドイツ人ホルスト・シュタインの予定だったが、病気でキャンセル。チェコ人のコウト(1937年~)に代わった。2000年2月、園田が「日本経済新聞」朝刊に連載した「私の履歴書」(現在は春秋社刊の単行本、園田著「ピアニストその人生」の一部に収録)は、この日の演奏会の回想で始まっている。
「演奏に50分近くかかり、『ピアノ付きの交響曲』と呼ばれるこの大曲は、血気盛んな若者にとっても難物。それを71歳の僕が金曜日の晩、土曜日の昼と24時間に2回、オーケストラ練習や会場での総練習を加えると5回も弾いたので、周囲は驚いた」
壮年期に比べ技はいささか鈍ったが、音楽を味わい深く語り、曲の良さを聴き手にゆっくりとわからせる手腕は、はるかに進化(深化)している。園田が冒頭、なかなかペースをつかめない場面でコウトがどこまでも忍耐強くオーケストラを引っ張り、じっくりと浮上を促す立場に徹するのは聴きもの。コウトは1968年の「プラハの春」事件(旧ソ連によるチェコへの武力介入)に際して共産党政権を公然と批判、一家で旧西独へ亡命するまで十数年間も「干され」ながら絶対に発言を撤回しなかった。不屈の意思の一端をもうかがわせる、貴重なドキュメントである。(キングインターナショナル)
大倉由紀枝(ソプラノ)
山田一雄指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団
マーラーに師事した作曲家で指揮者、音楽評論家のクラウス・プリングスハイム(1883~1972年)はユダヤ系だったためにナチスから逃れて1931年に日本へ移住、東京で没した。東京音楽学校の学生、教師を集めたオーケストラを指揮し、マーラーの交響曲のいくつかを日本初演した足跡は日本のみならず、世界の音楽史に照らしても偉業といえる。山田も学生の一人として演奏に加わり、作曲者直伝の演奏解釈から自身のマーラー体験を深める幸運を授かった。
長大で複雑系の作品が林立するマーラーの交響曲群にあって、第4番は「大いなる喜びへの賛歌」と呼ばれる機会も多く、小ぶりで天国的な明朗さが際立つ。
86年4月22日、神奈川県立音楽堂での神奈川フィル第64回定期演奏会の実況録音である今回のCDはまず、モーツァルトの「ディヴェルティメント(喜遊曲)ニ長調K(ケッヘル作品番号)136」で始まる。31年前の神奈川フィルのアンサンブルは現在と比べものにならないほどラフだが、ヤマカズ(山田の愛称)に一切の迷いはない。「さあ皆さん、楽しく音楽をしましょう!」と有無をいわさないオーラでオーケストラをたきつけ、音楽をどこまでも弾ませていく。この土台の上に「喜びの賛歌」を繰り広げる、仕組まれたプログラミングの見事さ!
筆者は別のオーケストラの定期でヤマカズの同曲に接したが、小柄なマエストロ(巨匠)が指揮台せましと動き回り、楽員まで楽しくさせてしまう姿は、森の中の妖精たちを踊らせる魔法使いのおじいさんを思わせた。第4楽章で清新な独唱を披露した東京二期会のプリマドンナ、大倉は「ついに発売されたのですね。子どもを出産して、すぐの演奏でした」と懐かしそう。その長男も30歳を超え、二期会のバス歌手として活躍しているので、時の移ろいは早い。
戦争の暗い時代があったにもかかわらず、一貫して充実の度を増していった昭和の音楽界の貴重な遺産がまた一つ、発掘された。(ナミ・レコード)
チェーザレ・シエピ(バス=フィガロ)、ヒルデ・ギューデン(ソプラノ=スザンナ)、アルフレート・ペル(バリトン=アルマヴィーヴァ伯爵)、リーザ・デラ・カーザ(ソプラノ=伯爵夫人ロジーナ)ほか
エーリヒ・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
エーリヒ(1890~1956年)は、日本では絶大な人気を誇ったカルロス・クライバー(1930~2004年)の「同業の父親」くらいにしか思われない機会が多い。だが欧米の評価は真逆で、最初は指揮者になることすら反対されたカルロスは「エーリヒに迫り、肩を並べる」目標に生涯をかけた。交響曲を指揮するときはエーリヒの書き込みが残るパート譜を持参。94年にウィーンと東京でR・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」を振り、かつての血気盛んな芸風がセピア色に染まり「エーリヒの夕映えを思わせる」と批評されると、オペラ指揮から引退してしまった。エーリヒが一度も来日せず、一緒に演奏した楽員もいない日本はカルロスにとって終生、天国だった。
カルロスのレパートリーの多くがエーリヒと重なるなか、モーツァルトのオペラだけは名指揮者として頭角を現して以降、ほとんど手がけていない。作曲家の生誕200年に当たった56年を目がけ、前年にウィーンで収めた「フィガロ」はエーリヒにとって現存唯一のステレオ録音であり、ふだん演奏されないアリアまで網羅した完全な全曲盤として不滅の価値を持つ。60年代末からのピリオド(作曲当時の仕様の)楽器の興隆により、18世紀音楽の分野に属するモーツァルトの再現法も大きく変貌したが、真意は2度の世界大戦を通じて失われた演奏様式の復興であり、楽器の違いではなかった。
エーリヒはドイツ・オーストリア圏で口承伝承のように受け継がれてきたモーツァルト演奏史の担い手であり、作曲者が楽譜で綿密に規定したアーティキュレーション(分節法)、フレージング(うたわせ方)をことごとく身につけていた。62年前のウィーン・フィルも現在のように国際化された団体ではなく、ローカルな音の美感を保っていた。何より、カルロスそっくりの強烈なカリスマ性と推進力でぐいぐい音楽をすすめ、たたみかけ、圧倒的なクライマックスを築く指揮のすごみ! 唯一の問題点は、一部の歌手にみられる発声テクニックの古さ、イタリア語の発音の悪さだが、エーリヒの巨大な音楽の前では、あまり気にならない。シエピ、ギューデン、デラ・カーザの3人が容姿にも恵まれ、20世紀中盤を代表するスター歌手だったから、当時最高のキャスティングといえる。
今回、タワーレコードがユニバーサルミュージックと組み、英デッカ原盤のアナログマスターテープに高規格のデジタル化を施し、CDとSACD2層のハイブリッド盤で再発売した3枚組は、そうした大指揮者の迫力を余すところなく伝える。40年以上前に購入した英国プレスのLP盤の曖昧模糊(もこ)とした音は、いったい何だったのだろうか? (ユニバーサル&タワーレコード)
(コンテンツ編集部 池田卓夫)
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