ふじのくに演劇祭 非寛容・排外主義の流れに一石

同じ日、東静岡駅前の静岡芸術劇場で見たシリアの演劇「ダマスカス」にも衝撃を受けた。アサド政権下では体制批判に通じる表現はできない。アヴィニョンをはじめとする欧州の諸演劇祭が共同制作した舞台である。シリアにとどまる演出家オマル・アブーサアダと亡命劇作家ムハンマド・アル=アッタールが組み、まさに困難な状況下を生きるシリア人俳優が演じたのだ。

生身の人間が伝える現実の痛切さ

舞台は2層に別れ、下には誰もいないベッドがある。ベッドにすがって見舞客がおえつしたりするのだが、意識不明で眠りつづける病人は上層にいて、その光景を見ている。現実と非現実が交錯する不思議な光景から、残酷な状況が浮かびあがってくる。

それは実話に基づいていた。演出家は親友が何者かに殴打され、意識不明になったあと死亡した事件にショックを受けたという。友人の医師のつてで内戦のせいで意識不明に陥った人の家族を次々と取材することができ、その記録から台本を創り上げた。このドキュメンタリー・ドラマは昨年、アヴィニョン演劇祭などで上演された。

不在のベッドを前に、人々は目覚めさせようと努力したり、家族の近況を話したり、欧州へ渡る決意を述べたり、とさまざまな言葉や身ぶりを明かしていく。死者を嘆く以上に、意識不明の人間と向き合うことは複雑な感情を引き起こす。人を混乱に陥らせ、本音をあぶり出していくのである。生きているのでも死んでいるのでもない「不在」という状況が、シリアという国の現在を痛切に反映する。痛みをともなう観劇は大変だったが、生身の人間でしか伝え得ないドキュメンタリー演劇の力をまざまざと感じた。

それにしても、移民問題で揺れる欧州で、演劇祭がこのような制作を連携して行っていることに深い感銘を覚えた。政治とは異なるチャンネルで、舞台芸術は「心の壁」を取り払おうと現代に問題提起を行っているのである。SPACの招待にも、そのような意図が働いているだろう。

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