「震災と日本」を海外は注視 復興を発信し続けるわけインバウンドサイト発 日本発見旅

被災地ではこのようなかさ上げ工事があちこちで行われています。陸前高田にて、2016年10月撮影(写真:japan-guide.com)
被災地ではこのようなかさ上げ工事があちこちで行われています。陸前高田にて、2016年10月撮影(写真:japan-guide.com)

日本は世界有数の地震国です。国土の面積は世界の陸地面積のわずか0.25%ほどなのに、2000~2009年の統計では、世界で起こったマグニチュード6以上の地震の約20%が日本とその周辺で発生しているのです。ここ数年だけでも、私たちは大きな地震を何度か経験しています。この国で生きていく限り、それは宿命なのかもしれません。

世界から問い合わせが殺到した東日本大震災

「ジャパンガイド」が拠点を日本に移した後に起きた最も大きな震災は、2011年3月11日の東日本大震災でした。マグニチュード9.0の地震と津波のニュースが世界に伝わると、サイトにはユーザーからの問い合わせが続々入ってきました。多くが「日本への旅行を考えている」あるいは「既に飛行機も宿も予約済み」という人からで、「日本に行っても大丈夫か?」という内容がほとんどでした。

日本国内にいても各地の被害状況がなかなかつかめない中、夫・シャウエッカーはできるだけ正確な情報を早くユーザーに伝えようと、昼夜を問わずコンピューターに向かっていました。というのも、海外メディアでは「東京は壊滅状態だ」「(花粉症のマスクの人が多いのを)放射能の恐怖でみんなマスクをしている」など、あまりにもデタラメな記事が多く、腹が立ったからだそうなのです。

震災から約1カ月半後の4月30日、私たちは初めて被災地を訪れました。特に、津波の被害が大きかった地域の実態を正確に知っておかなければと考えたからです。しかし葛藤もありました。報道機関でもない我々がこの時期に被災地に入ってもよいものだろうか……。それでも行く必要があると感じ、地元の方や復旧作業に取り組んでいる方々にご迷惑をかけないよう、水や食料を積み込んで群馬から車で出掛けました。

現地の状況は想像を絶する悲惨さでした。私たちは言葉を失い、ただ黙々と写真を撮り続けるしかありませんでした。あの日のすべての光景、あの衝撃と絶望感を、私は一生忘れることはないでしょう。

ただぼうぜんと惨状を見つめるしかなかった私たち。震災直後の南三陸町にて(写真:japan-guide.com)

復興への道のりを定期的に取材

それからは年に2回、春と秋に被災地を取材しています。観光業が将来的には被災地の大きな力になると、夫は早くから考えていたようです。津波の被害が顕著だった岩手県の田老・宮古・釜石・陸前高田、宮城県の気仙沼・南三陸・女川・石巻は必ず訪れ、各地で定点観測できる撮影地点を決めて、復旧・復興の足跡が写真でたどれるようにサイトのページを構成しています。

最初の2年間は、半年ごとに訪れてもがれきの仕分けが進んだ程度で、これだけの大災害からの復興はそう簡単ではないことを思い知らされました。

震災から2年後の2013年4月、NHKの朝ドラ「あまちゃん」がスタート。ふだんドラマを見ない夫が珍しくハマり、同年10月の取材ではドラマの舞台となった岩手県久慈市にも足を延ばしました。ジャパンガイドではこのように、周辺の観光地も必ず紹介するようにしています。外国の人に東北の観光地の魅力も知ってほしいからです。ほかに北山崎断崖の景勝地や浄土ヶ浜(岩手県)、猫島として知られる田代島や松島(宮城県)、福島県も訪れています。

このころから被災地は徐々に変わり始めました。がれきの撤去が進み、倒壊した建物や家屋の解体も進んでいる様子が各地で見られました。

2014年、突如大きく変わったのが陸前高田です。巨大ベルトコンベヤーが旧市街地に張り巡らされ、街をかさ上げするための土砂が山から大量に運ばれていました。あまりの変貌ぶりにショックを受けましたが、1日8時間稼働で10トンダンプカー4000台相当の土砂を移送できると聞くと納得せざるを得ません。現在、これらのベルトコンベヤーは役目を終えてすべて撤去され、運ばれた土砂でかさ上げ工事が進んでいます。

巨大なベルトコンベヤーが街じゅうに現れた陸前高田。右に立つ「奇跡の一本松」が、一時見えづらくなったほどでした。2015年4月撮影(写真:japan-guide.com)
重機、大型ダンプカー、土ぼこりが日常の風景になっています。朝夕は現場へ行き来するダンプカーのラッシュアワーがあることを、宿の人が教えてくれました(写真:japan-guide.com)

南三陸も旧市街全体がかさ上げされ、定点観測地としていた高台が、もう地面の高さとほぼ同じになっていました。3階建ての建物がすべて津波にのみ込まれたあの防災対策庁舎は、周囲のかさ上げによって、遠くからは建物の上部が見えるのみとなっています。

「元の街には戻らない……」

今年の春も被災地に行ってきました。復興工事はさらに進み、新市街地のかさ上げ、宅地にするための高台整備、新しい防潮堤の建築などが各地で見られるようになりました。造成地では重機が何台も作業をしており、道路は大型ダンプカーがひっきりなしに行き交う、そんな光景が当たり前になった現在の状況でした。