リンカーン氏は、「彼らとしては、権利を持っていると思っていたんだが、我々は、それが彼らにないことを証明することができた」と述懐し、その時の判決では、米国任天堂の弁護士費用もユニバーサル・スタジオが支払うという、一方的なものになったそうだ。

なおそのとき、米国任天堂の弁護を引き受けたのがジョン・カービィ氏である。任天堂の人気キャラクター「星のカービィ」の由来になったとの説もあるが、ドンキーコング、マリオの生みの親として知られる宮本茂氏のインタビュー(「GAME INFORMER」, 2011年6月11日)によれば、名前の候補の中にすでに「カービィ」が存在し、弁護士のカービィ氏との一致が面白いということで、カービィに決まったそうである。ここでも遊び心が透けている。

■ゲーム業界に危機 市場が30分の1に

さて、ドンキーコングの問題が解決するまでに3年ほど要したが、同時期、米国のビデオゲーム業界は危機に直面していた。

米国任天堂の(ワシントン州レイモンド)

1982年の後半から翌年の前半にかけ、人気に便乗し、異業種からの参入が相次いだ結果、ゲームソフトの質が低下し、消費者が離れていった。小売店は大量の在庫を抱えることになり、たたき売りを始めると、つられるように新作ソフトも値崩れを起こし、同時に、海賊版の横行がその混乱に拍車をかけた。

1982年に30億ドルに達した市場規模は、85年になると1億ドル程度にまで縮小したとも報じられ、その直撃を受けたのが、ビデオゲーム業界で圧倒的なシェアを誇っていた「アタリ」であり、その現象は後に、「ビデオゲーム・クラッシュ」(日本ではアタリショック)と呼ばれた。

このとき米国任天堂はといえば、前出のコレコにドンキーコングをライセンスしており、「利益が出ていた」とハワード氏。面白くないゲームが氾濫する中、ドンキーコングは消費者にとっても、安心できるタイトルだったよう。

ただ、米国任天堂も危うく、巻き込まれるところだった。当時、日本ではファミコンが発売(1983年7月)された。米国でも販売が計画され、販売網を持たなかった米国任天堂は、アタリと組み、ファミコンを売り出そうと考えていたという。

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任天堂、アタリと組む予定だったが
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