復活、任天堂 米国で「マリオ」誕生の舞台裏米シアトル在住ライター 丹羽政善(上)

2001年、イチローがマリナーズに入団したときに握手したのが元CEOのハワード・リンカーン氏
2001年、イチローがマリナーズに入団したときに握手したのが元CEOのハワード・リンカーン氏

任天堂が復活してきた。3月に発売した家庭用ゲーム機「Nintendo Switch(ニンテンドースイッチ)」の販売が好調で業績は大幅に改善している。特に米国でスイッチの注目度が高い。もともと任天堂を世界企業に押し上げたのが米国法人の米国任天堂だ。イチローが活躍したシアトル・マリナーズを買収、看板キャラクターの「マリオ」も米国任天堂と深いかかわりがあるが、草創期には様々な危機と直面した。かつての米国任天堂幹部を直撃し、知られざるゲーム王国の草創期の姿に迫った。

米国進出、わずか10年で地元に認められる

1980年にニューヨークで立ち上がり、翌年、ビジネスの拠点を西海岸のシアトルへ移した米国任天堂。ドンキーコングのヒットで軌道に乗ったかに見えたが、そのドンキーコングを巡ってユニバーサル・スタジオに訴えられ、同時期、米ビデオゲーム業界の市場規模が大幅に縮小した「ビデオゲーム・クラッシュ」に直面するなど、逆風を歩んだ。

そんな中、1985年にNES(任天堂エンターテインメントシステム、日本名ファミリー・コンピュータ)を発売すると、当初こそ「ビデオゲーム・クラッシュ」の影響を受けたものの、やがてヒットすると、日本同様、米国でもビデオゲーム業界の発展を牽引する存在となった。

シアトルへ来て10年目の1991年、身売り、移転という危機に瀕していた大リーグのマリナーズを買収してくれないか、という打診を受けた。チームを地元に存続させようと動いていたグループが、地元の有力企業に協力を呼びかけていたのだ。裏を返せば、わずか10年で米国任天堂が地元でも認められる企業に成長したということでもあった。

今回、そこまでの経緯をほぼ創業時からのメンバーで、現在は、オペレーション担当上級副社長のドン・ジェームス氏と、長く上級副社長、法律顧問を努めた後、昨年までCEO(最高経営責任者)としてマリナーズの舵取りをしてきたハワード・リンカーン取締役に振り返ってもらった。

米国任天堂、周囲はマイクロソフト本社

米国任天堂はシアトルから東へおよそ14マイルのところに位置するレドモンドという静かな街に拠点を置く。今でも自然豊だが、かつては、まるで森のようなところ。そこに米国本社を移した当初、周囲には「木しかなかった」と振り返るジェームス氏。

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ドンキーコング 米でも大ヒット
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