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島根県海士町で唯一の土木建設会社、飯古(はんこ)建設は、民間の力で「隠岐牛」のブランド化に成功した。自らを引き上げてくれたオーナーの反対を押し切ってまでも、異業種参入を決断した社長の田仲寿夫氏。そこにはどんな思いがあったのだろうか。

◇   ◇   ◇

私は建設関係の勉強をまったくしないまま、22歳で飯古建設に入りました。当時は、少しお金がたまったらすぐに遊びにいく、というような放蕩(ほうとう)な暮らしをしていました。そんな私の何が、オーナーである現会長の目に留まったのかはわかりません。ある日、現場監督の仕事を任されてしまい、そこから測量のことなど必死になって勉強しました。

建設業といっても、弊社が扱うのは土木です。それも100%公共事業。海の仕事もあれば、山の仕事もある。20代で、両親と同世代の社員をまとめ、現場を仕切るのは大変でした。

オーナーの反対を押し切り、異業種参入

初めての現場監督をまかされた時、なかには、「どうしてお前が抜てきされたのかわからない」という先輩もおられました。まもなく専務に昇格し、33歳でオーナーと2人、共同代表という立場にもなった。つらくて、35歳くらいからはずっと辞めよう、辞めようと思っていました。

38歳の時に一度、本気で「やめさせてくれ」とオーナーに言ったこともある

38歳の時に一度、本気で「やめさせてくれ」とオーナーに言ったこともある

38歳の時に一度、本気で「やめさせてくれ」とオーナーに言ったこともあります。その時、オーナーには「お前が辞めるなら、もう、この会社は閉める」と言われました。「お前には従業員を守る義務があるんじゃないのか?」とも言われまして、押し返すことができず、今に至っているわけなんです。

社長就任は40歳を迎える時で、それを機に、オーナーである現会長は第一線を退きました。私と会長の間に血縁関係はありません。これは異例というよりも、ありえんことでした。息子さん(現・飯古建設専務)もいるのにどうして私を社長に据えたのかはオーナーに聞いてみないとわからないですけれども、ただ一ついえるのは、仕事は真面目にやっていたということ。昼間は現場をみなければなりませんから、営業の書類をつくるのはたいてい夜間。年間、何日休んだかなというくらい、働いたでしょうかね。

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