2017/5/30

そもそも睡眠時間を自由に切り詰めることができるようになったのは人間に特徴的な現象である。一般的に他の動物では睡眠時間の個体差も比較的小さく、また体内時計に強く縛られているため、決まった時間帯に決まった長さだけ眠らなくてはならない。

人類社会がこれほど発展したのは大脳皮質が発達したことだけではなく、睡眠(行動)パターンの自由度が高いことも大きく寄与している。紙数が尽きたので詳細は割愛するが、大脳皮質の発達と睡眠の自由度には関連があり、その特性がゆえに睡眠不足による健康被害も増加している。

私はすべての人が必要十分なだけ眠るべきだと主張するつもりはない。人は眠るためだけに生きているわけではないからだ。太く短い生き方も選択肢の一つだが、そこまで胆力のない人は睡眠を固定費としてきちんと計上しなければ若い頃の私のように家計が赤字になりかねないリスクを人生設計の中に織り込んでおくべきである。実際、生命保険会社や損保会社の一部では被保険者の健康増進や事故防止(支払額抑制)のために睡眠習慣指導を盛り込む動きがある。

■睡眠と寿命はトレードオフ

私の知る限り、睡眠と寿命のトレードオフについて最初に指摘したのは、この連載で3度目の引用になるショーペンハウアーの『幸福について 人生論』にあるこの一節である。

「生は神からの借金であり、いずれは返済(永久の眠り=死)しなくてはならない。当座の利息である睡眠を多めに払えば、借金完済は少し先送りされるだろう」

睡眠時間が大事な固定費であることを皮肉屋さんらしくスパイスを効かせて説明している。彼は「人にとっての睡眠は、時計ならば『ぜんまいを巻く』ようなものだ」とも書いている。よほど眠りに対するこだわりが深かったのだろう。

最後に宣伝になるが、私にとって初めての一般向け書籍『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』がこの4月に集英社文庫になった。本書は2012年末から2013年にかけて公開されたWebナショジオの好評連載「「研究室」に行ってみた。」に、インタビュアーである川端裕人さんと私が筆を加えたものだが、今回の文庫化にあたり、さらに内容をアップデートした。

当初「8時間睡眠のウソ」というタイトルをつけたのは、不眠症をはじめ、さまざまな睡眠問題で足かせとなっていた「誰もが8時間眠らなければならない」という固定(強迫?)観念を打ち破るためだった。ところが刊行から3年の間に、短時間睡眠がはやったかと思えば、本人が眠り足りていると感じていても実は睡眠不足である「潜在的睡眠不足」が私たちの研究によって明らかになったりして、「8時間神話」はいまや相当に影が薄くなりつつある。文庫化にあたってはそのあたりもしっかりフォローしている。

だが、必要な睡眠時間が人によって異なることは変わらないし、もっと言えば、今回書いたように人は眠るためだけに生きているわけではない。やはり睡眠時間は人それぞれ。ゆえに「8時間睡眠のウソ」というメッセージの本質も知るべき知識もなんら変わらない。何時間眠ったらいいのかは、睡眠の正しい知識を理解したうえで、結局のところ自分が決めるものだ。

皆さんは、睡眠時間を固定費としてキッチリ確保するか、マイナーな変動費として帳尻合わせをするか、どちらでしょうか。

三島和夫
 1963年、秋田県生まれ。医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神生理研究部部長。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事、日本生物学的精神医学会評議員、JAXAの宇宙医学研究シナリオワーキンググループ委員なども務めている。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。

(日経ナショナル ジオグラフィック社)

[Webナショジオ 2017年4月27日付の記事を再構成]