北海道で2年間、研修医として過ごした後、東京に戻り、日本赤十字社医療センターで呼吸器内科医として働き始めました。呼吸器内科を専門に選んだのは、対象となる疾患が幅広く、いろいろな病気を診ることができる医者になりたいという自分の希望にぴったりだったからです。日赤医療センターでは、会社経営者となった今も、週1回、外来の仕事をしています。
海外留学中に事業のアイデアが浮かんだ。
日赤医療センターで3年間働いた後、いったん病院を辞めて、上海のビジネススクール、CEIBS(シーブス)に留学しました。
留学の理由はふたつ。まず前にも言いましたが、一度海外に住んでみたかった。二つめは、それまで医学しか勉強してこなかったので何か新しいことを学びたいと思ったことです。ネットで調べていたら、どうやら世の中のビジネスマンはMBA留学というのをするらしい。たった2年間でビジネス・経営に関するすべてのことを学べる。これはお買い得ではないかと思いました。
本当はUCLAに行きたかったのですが、残念ながら不合格。でも、シーブスでは、授業は英語、普段の生活は中国語と、2つの外国語を同時に学ぶことができたので、結果的によかったと思っています。ただ、ビジネス・経営の勉強などしたことがなかったので、とても苦労しました。というのも、病院で働いているときは、「売上」とか「利益」といった単語を一度も使ったことがありませんでしたから。
また、結果的にシーブスを選んでよかったと思ったのは、MBAと公衆衛生学修士(MPH)を同時にとれるプログラムがあったからです。1年目はシーブスで経営学を学び、2年目は米国に渡り、提携先のジョンズ・ホプキンス大学で、公衆衛生学を勉強しました。ジョンズ・ホプキンスの医学部は世界屈指で、経営学で言えばハーバード大学のような存在。そこで学んだことは大きな自信になりました。
ジョンズ・ホプキンスに「医療インフォマティックス」を学ぶクラスや専攻プログラムがありました。情報技術(IT)を診療の現場で使うと何が起きるかということを学ぶ新しい学問で、体系立ててしっかりと教えている日本の大学はまだありません。非常に面白いと思い、修士論文も医療インフォマティックスにかかわるテーマを選びました。