「スターターの神様」佐々木吉蔵氏 正確な計測に執念スタートのテクノロジー(2) 北岡哲子 日本文理大学特任教授

日経テクノロジーオンライン

2017/5/8

スポーツイノベーション

東京五輪から順位とタイムの判定に写真が導入された(男子100m走決勝)。写真出所は陸連時報 第136号、1965年3月15日、野崎忠信「1964年東京オリンピック大会コレクションと資料」所収
東京五輪から順位とタイムの判定に写真が導入された(男子100m走決勝)。写真出所は陸連時報 第136号、1965年3月15日、野崎忠信「1964年東京オリンピック大会コレクションと資料」所収
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1964年の東京五輪において「スターターの神様」と称された一人の日本人がいた。12年生まれの佐々木吉蔵氏だ。東京高等師範学校を卒業後、勉学を究めるためにさらに中央大学法学部に進み、53年に東京学芸大学の教授に就任した。

学生時代、同氏は自らが陸上の競技者で、32年のロサンゼルス、36年のベルリン両五輪に出場した。このため、スターターの重要性や理想像、ルールに対する疑問など、切実な問題意識を持っていた。

実は失格?ベルリン五輪優勝のオーエンス

同氏が出場したベルリン大会でのエピソードは特に有名だ。男子100mの優勝者、米国のジェシー・オーエンスと佐々木氏は予選で隣同士のレーンにエントリーされた。スタート合図直前、佐々木氏がちらっと横を見ると、オーエンスは約5cm幅のスタートラインの少し前方に手を置いていた。手はラインの手前につくものだと認識していた佐々木氏は、「おかしい」と感じた。

ところで、100m走の100mとは、一体どこからどこまでを指すのか。スタート地点とは5cm幅のあるスタートラインの手前なのか、奥の側なのか。ゴールはフィニッシュラインの手前か、奥側か。全部で4種類の解釈があるうち、どれが正しいのかについて疑問を持った。

スタートの瞬間に佐々木氏がどこまで考えていたかは定かではないが、モヤモヤしながらスタートしたためか、同氏は予選落ちしてしまった。

レース終了後、誰に尋ねても満足な回答は得られなかったそうだ。帰国後も引き続き調べたが、100mの正しい測り方は分からずじまいだった。当時はルールに記述がなかったからだ。ただ、この経験から佐々木氏は、陸上界のルール構築に尽力するようになった。

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東京五輪男子100m決勝でスターター