吸血鬼や狼男はなぜ生まれた? 伝説誕生の経緯を検証
科学で挑む人類の謎
人の生き血を吸う吸血鬼、満月の夜になると狼に変身する狼男……これらの怪物たちは、現代の私たちには怪奇小説やホラー映画のキャラクターとしておなじみだ。しかし長い歴史の中では、その存在が実際に信じられ、言い伝えや目撃例も枚挙にいとまがない。なぜこれらの怪物は出現したのか? なぜ信じられたのか? 伝説誕生の経緯を科学の目で検証してみよう。
埋葬の儀式がバンパイアの正体を暴く
吸血鬼の起源は古代ローマ、ギリシャ、エジプトにまでさかのぼる。「バンパイア」という名が使われるようになったのは11世紀になってから、奴隷売買が行われていた東欧でのことだった。スラブ語で死からよみがえる人を意味するバンピルや、トルコ語で魔女を表すウピルがその語源とされる。
近年、ポーランドで何カ所かのバンパイアの墓が発掘された。例えば南部にあるグリヴィーツェの町では、切断された頭が脚の上に置かれた状態で遺骨が発見された。これは、バンパイアの疑いがある遺体を処置するスラブ人の古い埋葬習慣だ。首が斬られれば墓から出て人を襲うことはないと考えられたのだ。
2014年に『プロス・ワン』という科学雑誌に掲載された記事によれば、ポーランドではバンパイアは「死体をよみがえらせて生者にとりつく不浄の霊」として語り継がれてきた。
バンパイアとされた人たちの古い墓を発掘する現代の考古学者は、バンパイア神話がどのようにして生まれたかを明らかにしようとしている。ポーランドの北西部、ドラウスコで発見された遺体は、喉あるいは腹に鎌をひっかけるように置いて埋められていた。墓の発掘調査に当たった科学者たちは、「この仕掛けは、万が一この遺体がよみがえって墓を出ようとした時に、その首を切り落とすか、その腹を裂く意図で置かれたものだ」と分析する。
2006年、当時フィレンツェ大学の法医学・考古学者だったマッテオ・ボリーニが、ベネチア近郊で、16世紀に大流行したペストの犠牲者が埋葬された集団墓地から一人の老女を発掘した。なんと、この遺体の口にはレンガが詰め込まれていたのだ。バンパイアとしてよみがえっても攻撃させないようにするためだったとみられる。
死、病、そして腐敗
吸血鬼信仰がピークを迎えたのは中世のことだ。まだ疫病についての知識はなく、死体がどのように腐敗するかもわかっていなかった。こういう状況の下、憶測が憶測を生み、一種のヒステリーのように恐怖が広がっていった。
誰かが伝染病で死ぬと、埋葬時にバンパイア化を防ぐ仕掛けが施された。レンガを口に詰めるのはその一例で、死体がよみがえって他の人に疫病をうつさないようにしたのだ。当時は結核やコレラなどが猛威を振るい、特にコレラは17世紀の東欧で広く恐れられた。
疫病が大流行すると、墓掘り人は犠牲者が出るたびに何度も墓を掘り起こすはめになる。当然、腐敗が進んだ古い遺体が目に飛び込んでくる。例えば、亡くなった人の内臓が腐敗すると、鼻や口から血のような黒い液体が流れ出ることがある。遺体の口や鼻から流れ出る液体を吸血鬼と結びつけた可能性は十分にある。
埋葬時に遺体を包む白布は腐敗液を吸って重くなり、口の部分が窪んで裂けることがある。遺体が布を噛み裂いたように見えたこともあっただろう。その結果、吸血鬼になると布を噛むという迷信が生まれたとマッテオ・ボリーニは考えている。
一般に、遺体が腐敗すると腹部にガスがたまり膨らんでくるが、これも吸血鬼の証拠と考えられた。吸血鬼を恐れる人たちの目には、襲って食べた人肉で腹が膨らんだと映る。遺体の皮膚は縮むため、相対的に爪や歯が大きく長く見えたことも恐怖に拍車を掛けた。
吸血鬼の伝説は姿を変えながらも連綿と語り継がれてきた。次の新しい吸血鬼伝説が生まれるのは時間の問題だろう。それが想像上の怪物なのか、それとも実物なのか、誰にもわからない。
人狼伝説の起源は多毛症?
一方、ハリウッドが映画の主人公に据えるずっと以前から、満月の夜になると血に飢えた狼に変身する「人狼」の存在も広く信じられ、語り継がれてきた。人狼伝説の起源はわからないが、伝説誕生の経緯がうかがえる話はいくつかある。
その一つは、多毛症に由来を求める説だ。多毛症というのは、人の顔や上半身に密集して毛が生える症状のことで、治療法はないとされている。1995年に、人狼症候群と名づけられた極度の多毛症を引き起こす突然変異遺伝子が確認された。発症例はごくまれで、中世以降、記録された例は50にすぎない。
記録に残っているものとしては、ペトルス・ゴンザレス(1537~1618)が最初の例だろう。あまりに毛深い外見から、フランスのアンリ2世の宮廷で見世物として暮らした。ゴンザレスの5人の子は、3人の娘も含めこの症状を受け継いだ。娘たちは『驚異の毛深い姉妹』という本の中でその名を歴史にとどめることになった。
だが、多毛症がごくまれであることを考えると、1500年から1700年までに3万件にものぼった人狼の目撃例は、この症状だけでは説明できない。
狂犬病が人狼伝説を生んだのか
小さな子どもを殺して食べると恐れられた人狼を、ヨーロッパを席巻したいくつかの流行病と結び付ける説もある。その一つが狂犬病だ。きわめて致死率の高い疫病で、ウイルスは感染した動物に咬まれることで伝染する。犬がこの病気に冒されると凶暴になり相手に咬みつこうとすることがある。
18世紀は狂犬病が特に流行した時期だ。例えば、マット・カプランの『モンスターの科学』という本には、1738年、フランスで狂犬病にかかった1頭の狼が70人にかみついたという記述がある。人が狂犬病にかかって正気を失い乱暴になるのではないかという憶測が広まり、血に飢えたモンスターの物語を生んだとも考えられる。
ごくまれではあるが、人狼の話を聞いただけで自分も人狼になると思い込む人もいた。精神医学的には狼化妄想と呼ばれるもの。その患者の一人とされるのがペーター・シュトゥッベという16世紀のドイツの農民だ。シュトゥッベは13人もの人を惨殺し、悪魔がくれた魔法のベルトが自分を狼にしたと訴えたという。
中世ヨーロッパでは、流行病、突然変異遺伝子、精神病などが、広く恐れられた人狼伝説を生んだと言える。人狼伝説は今もなお、映画やドラマ、コミックなど、様々な大衆文化の中に生き続けている。
(日経ナショナル ジオグラフィック社)
[書籍『科学で解き明かす超常現象 ナショジオが挑む55の謎』を再構成]
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