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東京・高輪の本店をはじめ、全国に約30店舗を展開しているフランスパンの専門店「メゾンカイザー」。パリッとした皮は厚めで香ばしく、中はもっちりとしてかむほどに味が出るバゲットが人気だ。運営会社のブーランジェリーエリックカイザージャポン(東京・港)を率いるのは、明治期にあんパンを考案してヒットさせたことで知られる「木村屋総本店」の嫡男、木村周一郎氏だ。日本のパンの歴史を背負って生まれた木村氏が、業界に起こした革命とその原点を聞いた。

◇   ◇   ◇

子どもの頃から、「あなたはパン屋さんになるんですよ」と言われて育ちました。継ぐのが当たり前だと思っていたのですが、大学4年生でいざ就職というときに、家業を持つ人たちも就職していくわけですね。しかも、みんな金融機関に行くわけです。僕らの頃はバブル経済真っ盛りでしたから。

僕を千代田生命保険(現ジブラルタ生命保険)に誘ってくれた先輩のひいおじいちゃまが、千代田生命を創業したメンバーの一人。加えて、初代社長のひ孫がスキー部の後輩。「ひょっとしたらワンポイント社長にもなれるかな」くらいの、軽い気持ちで入社しました。

千代田生命では法人営業を担当していましたが、木村家の人脈は使わせてもらえませんでした。それでは力がつかないからと、僕はほとんど飛び込みの営業から入ったのです。

実家に戻って家業を継ぐという気持ちは、途中からだいぶ薄れていました。総じて仕事は楽しかった。「そろそろパン業界に入らないか」と父に言われたのは、ちょうど地方転勤の話が持ち上がっていたときでした。

東京生まれの東京育ちで実家を出たこともなかったので、一人暮らしをしてみたくてしかたがなかったのですけれども、一度転勤したら3年間は辞めないでくれ、と言われました。父は「3年も待っていられない」と言う。結局、転勤の話が持ち上がったのをきっかけに、会社を辞めることになりました。

その頃、父は業界の重鎮たちとこんな話をしていたそうです。「パンのことをまったく知らない人間に、考えうる限りの最高の英才教育を施したら、どんなパン屋を作るのか見てみたい」と。

そのタイミングで、僕がたまたま会社を辞めてパン業界に入ることになった。ならば、酒飲み話で自分たちがしていた虎の穴の研修内容をこいつにやらせてみようということになり、僕は横浜のパン屋さんで生地に慣れた後、アメリカのカンザス州にある米国立製パン研究所(AIB)へと派遣されることになったのです。

天才パン職人、エリック・カイザー氏と出会う

AIBは米食品医薬品局(FDA)唯一の研究機関であり、パン作りを理論的に解析しているところです。僕以外で日本から派遣されていたのは製パン・製粉業界で品質管理などを担当していた人たちで、理系の修士号以上を持っていました。ですから、最初はついていくのに苦労しました。

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