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東京芸大の同級生で挑む バイオリンソナタ全曲公演

2017/4/15

 ピアニストの児嶋一江さんとバイオリニストの水野佐知香さんが東京で3月から4回にわたる1年がかりのベートーベン「バイオリンソナタ」全10曲シリーズ公演を始めた。2人は東京芸術大学の同級生。長年それぞれのキャリアを積んだ後、気心の知れた仲で連続共演に取り組む。「同ソナタ第5番《春》」などの演奏を交えて意気込みを語った。

 「私たちは東京芸大の同級生。寮も同じで一緒に学んで遊んだ。彼女はその後ドイツに留学したけれど、幼なじみのような人」とバイオリニストの水野さんがピアニストの児嶋さんについて話し始めた。児嶋さんはミュンヘン音楽大学に留学し、全ドイツ音楽コンクール優勝などの受賞歴を持つ。ドイツの著名バイオリニスト、カール・ズスケ氏らと共演を重ねるなど、日本だけでなく欧州でも実績を積んできた。特にベートーベン(1770~1827年)については、ピアノソナタだけでなく、室内楽や歌曲を含めピアノが入るほぼ全作品を手掛けた経験がある。

ベートーベンの10作品に2人でじっくり取り組む

 一方の水野さんは学生時代からコンサート活動を始め、日本音楽コンクール第1位、ヴィエニャフスキ国際コンクール入賞などの受賞歴を持つ。普段は温和な雰囲気の人だが、ひとたびバイオリンを弾き始めると、確信に満ちた大胆な弓さばきで、果敢に攻めるシャープな演奏スタイルが印象深いバイオリニストだ。現在は洗足学園音楽大学・大学院主任教授も務める。

ベートーベン「ピアノとバイオリンのためのソナタ」全10曲シリーズ第1回公演を直前に控えリハーサルをするバイオリニストの水野佐知香さん(左)とピアニストの児嶋一江さん(3月27日、東京都中央区のヤマハ銀座コンサートサロン)

 児嶋さんは「学生の頃には2人でベートーベンのような作曲家のバイオリンソナタの全曲演奏にじっくり取り組む機会はなかった」と話す。「それぞれの道でずっと演奏活動を続けてきたが、そろそろ彼女と組んで演奏会をやってもいいかなと思って始めることにした」。このベテラン2人による共演シリーズ第1弾が大阪と東京での「ベートーベン:ピアノとバイオリンのためのソナタ全10曲」と題した全4回のシリーズ公演だ。東京ではヤマハ銀座コンサートサロン(東京・中央)で第1回を3月27日に開いた。6月6日、9月27日と続き、2018年1月13日の第4回で完結する。並行して大阪市の三木楽器開成館でも同シリーズ公演が進んでおり、第2回を5月5日に開き、12月26日に全4回を終える予定だ。

 東京での第1回公演は、小規模の会場ではあるもののチケットは完売し満席だった。有名アーティストのブランド力で売るコンサートではない。知る人ぞ知る2人の実力にほれ込んだ音楽ファンが集まったという雰囲気だ。長年の演奏活動を通じて磨き上げられた2人の熟練の技と精神。その再会の調べを聴こうと待ち構える緊張感が会場に漂う。本稿の映像では、本公演前のリハーサルで、2人がベートーベンの「ピアノとバイオリンのためのソナタ第5番ヘ長調 作品24《春》」と「第1番ニ長調 作品12の1」のそれぞれ第1楽章を練習する様子が捉えられている。

明るくみずみずしいベートーベン初期の作品群

 ベートーベンのバイオリンソナタは、今回の公演で「ピアノとバイオリンのためのソナタ」と呼んでいる通り、「(ピアノとバイオリンが)対等というよりも、ピアノがどーんとあって、それにバイオリンが乗っかる感じの作品」と水野さんは説明する。「もう彼女におんぶに抱っこ」と水野さんは児嶋さんの方を向いて謙遜めかした様子で笑って話す。特に全10作品の中でも初めの頃の曲は、ベートーベンよりも年配のモーツァルトら18世紀ウィーン古典派の「バイオリン助奏付きピアノソナタ」の伝統を踏まえて作曲されている。だがモーツァルトの作品に比べれば、ベートーベンはバイオリンの役割をはるかに重視したソナタを書いたといわれる。バイオリンがおとなしくてピアノばかりが目立つような曲ではない。ベートーベンを元祖にしてその後のブラームスやフランクら中・後期ロマン派の作曲家たちは、堂々と「バイオリンソナタ」と呼べる、バイオリンが主役のソナタを書くようになった。

ベートーベン「ピアノとバイオリンのためのソナタ」全10曲シリーズ第1回公演のリハーサルをするピアニスト児嶋一江さん(3月27日、東京都中央区のヤマハ銀座コンサートサロン)

 2人のリハーサルを聴いて、まず水野さんのバイオリンが存在感のある力強い響きなのに驚いた。「第1番」の第1楽章は明瞭な響きと決然としたリズム感が、若々しくもみずみずしいベートーベン初期の音楽世界を描く。一点の曇りもない明るい音楽はモーツァルトに通じるが、そこにベートーベン独特の勇敢さ、意志の強さが加わる。「音は単純でクリア。それでいて細やかな表情が音符として書き込まれている。明瞭なものを弾くのは本当に難しい」と水野さんは言う。

 確かに児嶋さんが弾くピアノの方が音数は多く、複雑できめ細やかで、絶えずリズムを生成する役目を果たしている。だがバイオリンを圧倒するのではなく、掛け合いをしたり、競い合ったり。気心の知れた2人が演奏するにふさわしい場面が多いともいえる。児嶋さんは「ピアノではない楽器のイメージも随所にある。いろんな楽器のイメージを持って演奏したい作品」と「バイオリンソナタ」について指摘する。

 57年の生涯を送ったベートーベンだが、その創作期の初期に作品が集中しているのも「バイオリンソナタ」の特徴だ。10作品のうち「第1番」から「第9番イ長調 作品47《クロイツェル》」までは1797年から1803年ごろにかけて書かれた。ベートーベンが27歳から33歳ごろまでの時期に当たる。最後の「第10番ト長調 作品96」だけがぽつんと1812年に作曲されている。それでもこの時点でベートーベンはまだ42歳だ。「ベートーベンは第32番までのピアノソナタ、『第九』までの交響曲、第16番までの弦楽四重奏曲を晩年まで生涯にわたり作曲したが、バイオリンソナタは残念ながら初期に偏っている」と児嶋さんは話す。「バイオリニストにとっても、ベートーベンのこうした初期の作品をちゃんと弾けるかどうかが課題となる」と水野さんは話す。

多くの人々に喜びを与えるという音楽の基本理念

 ピアノソナタの全曲演奏をしたこともある児嶋さんは「バイオリンソナタを全曲弾いてもベートーベンの生涯をたどったことにはならない」と指摘する。その一方で、一時期の作品群とはいえ「ベートーベンの生涯の中でどんな位置付けになっているのかを考えれば、やはりベートーベンの作品だからこそ面白いということになる」と話す。「私たち演奏家にとってベートーベンがどんなに偉大な作曲家であるか、年々強く感じるようになる。晩年に『第九(交響曲第9番)』や弦楽四重奏曲のような人類の遺産といえる傑作を生み出した人が、20代にはすでにここまですごい曲を書いている、この若さでもうこんなことができていたんだ、と再確認させてくれる」と児嶋さんはバイオリンソナタを演奏する意義を語る。

インタビューにこたえるバイオリニストの水野佐知香さん(左)とピアニストの児嶋一江さん。聞き手は池上輝彦(3月27日、東京都中央区のヤマハ銀座コンサートサロン)

 これほどまでに演奏家を引きつけるベートーベンという作曲家はどんな存在なのか。「正義と自由を大切にし、どんな権力の前にも絶対に屈しないという生き方を文字通り生涯貫いた芸術家」と迷わず断言した児嶋さんのストレートな言葉に、いつの間にか薄れてしまっていたベートーベン像のまぶしすぎる原光を改めて見る思いがした。「自分の音楽によって一人でも多くの人に喜びを与えるという基本理念が、初期のバイオリンソナタからはっきり表れている。彼自身は難聴に悩まされるなど、全くハッピーな人ではなかった。でもその苦悩は音楽では喜びでしか表されない。苦悩の部分もあるが、必ず最後には光が見えてくる」と児嶋さんはベートーベンの音楽の本質を語ってやまない。

 3月27日の東京での第1回公演で2人はバイオリンソナタ全10作品のうち3曲、「第1番」「第3番変ホ長調 作品12の3」「第5番《春》」を演奏した。児嶋さんの弾くベーゼンドルファーのピアノは音の強弱の幅が大きく、音色は柔らかく、表情豊かな表現を実現していた。しかしピアノが全面に出ることはなく、水野さんのバイオリンとのバランスをうまく取った、堂々とした安定感のある演奏だった。それでいて重厚さや武骨さとは異なり、前向きな明るさ、優しさ、しなやかさがあふれている。公演の前日、3月26日にはベートーベンの没後190周年を迎えた。2020年には生誕250周年を迎える。演奏家2人の実力と友情が、自信と明るさに満ちたベートーベン像を生み出す。さらに「ベートーベンの次はブラームス」と2人は言う。春に始めた同級生2人の演奏会は、様々な作曲家のバイオリンソナタ全曲公演に発展していきそうだ。

(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)

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