洋服はカップめん、きものはラッピング 着方は無限に
伊藤元重 矢嶋孝敏 共著「きもの文化と日本」(5)
30年来のつきあいという経済学者の伊藤元重氏と、呉服大手やまと会長の矢嶋孝敏氏。伊藤氏はきものの魅力を「面倒くさいところ」と語ります。「文明」が「文化的な細かい特徴を削っていって、標準化されたもの」(矢嶋氏)であるなら、きものはその対極にある「文化」にほかならないからです。2人の対談をまとめた「きもの文化と日本」(日経プレミアシリーズ)から、前回掲載「日本初『製造小売り』の風雲児 きものを物語で売る」に引き続き、きもの文化についての討論を抜粋、ご紹介します。
伊藤洋服ときもので、もっとも違う部分はどこだと思われますか?
矢嶋 着ることに対する思想がまったく違う。たしかに洋服にはいろんな生地があって、いろんなフォルムがある。ジャケットだっていろんな種類があるんだけど、体の形に合わせて作ってあるし、ボタンの位置も決まってるから、1通りの着方しかできない。答がひとつしかないの。フォルムは無限に用意されてるけど、ひとつのフォルムを選んだあとは、スタイルがひとつしかないわけ。
伊藤 誰が着ても、同じスタイルになるわけですね。だとすると、カップヌードルと同じで洋服を着るのに上手いも下手もない。文明的ですね。
矢嶋 洋服はきわめて文明的なの。もちろん、種類はいっぱい用意されているんだよ。シーフードヌードルもあれば、カレーヌードルもあり、チリトマトヌードルもある。いっぱいあって、どれを選ぶか迷う。だけど、そのなかのひとつを選んだあとは、誰が作ったって、まったく同じ味に仕上がる。
伊藤 アロハシャツの起源として、ハワイに移住した日系人が和服をシャツに仕立て直したという説がありますね。だけど、体に合わせて裁断して、ボタンをつけた時点で、1通りの着方しかできなくなる。いくらきものの生地が使われていて、柄もきものそのものだったとしても、それはきものでなく、洋服だということですね。一方、きものは体に合わせて作っていないから、無限に近い着方ができると。
矢嶋 そうそう。ジャケットは脱いでも、そのままの形で残ってるけど、きものは脱いだら平面になっちゃう。着ることでようやく形が生まれるわけ。衣服というより、高度なラッピングをやってるような感覚だよね。
伊藤 なるほど。平面の包装紙を使って、立体的な商品を包んでいく感覚。
インナートリップを体験する
矢嶋 だってね、着物のフォルムはひとつしかないんです。どんな着物でも同じフォルム。しかも、驚くべきことに、男女でフォルムがほとんど変わらないの。すごいでしょう、このフォルムの画一性。ところが、体に合わせて作られていないし、ボタンもついてないから、どんな着こなしだって可能になる。
伊藤洋服とまったく逆ですね。フォルムがひとつしかないのに、スタイルは無限にある。だから、きものの場合は、着るのに上手下手が出てくる。
矢嶋 毎回毎回、形を自分で作るわけだからね。襟(えり)をどこで合わせるか、きつめに着るのかゆるめに着るのか、どの位置で帯を結ぶのか……。場合によっちゃあ、きものの下にシャツを着てもいいし、ブラウスを着てもいい。無限の着方がある。だから、うまく着れない日もある。毎日着ている僕だって、10回に1回ぐらい、帯を結び直すときがあるからね。でも、それが面白いんだよ。料理と同じこと。
伊藤 形を自分で作るとなると、無意識ではやれませんね。ワイシャツを着るときみたいに、何か考えごとをしながら、というわけにいかない。
矢嶋 ある会社の社長がきものを作ったんだけど、2日ぐらいして感想がきて、「いかに普段、着るという行為を意識してなかったか気付いた」と。毎日スーツで過ごしている人は、無意識で服を着てるから、新鮮だったんでしょう。
伊藤 きものって、着ることを意識する貴重な体験かもしれない。
矢嶋 この社長じゃないけど、きものを着ると、精神状態が変わってくる。昨日までと同じ場所にいても、まったく新しい自分が発見できる。インナートリップなんだよ。時間の流れ方が変わるし、自分の所作(しょさ)が変わるのを実感できると思う。だから、読者の皆さんには、ぜひ体験してみてほしい。
=おわり
東京大学名誉教授、学習院大学国際社会科学部教授。1951年静岡県生まれ。東大経済学部卒業。ロチェスター大学ph.d。専門は国際経済学。政府の経済財政諮問会議民間議員などを兼務。
矢嶋孝敏
やまと会長。1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政治経済学部卒業。88年きもの小売「やまと」の社長に就任、2010年より現職。17年に創業100周年を迎える同社できもの改革に取り組む。
第4回「日本初『製造小売り』の風雲児 きものを物語で売る」もあわせてお読みください。
「きもの文化と日本」記事一覧
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