日本で1番人気のオペラ「魔笛」 各地で新解釈に挑む

神奈川県民ホールの「魔笛」。大小さまざまの金属リングが浮遊する勅使川原三郎の演出(撮影=長谷川清徳)
神奈川県民ホールの「魔笛」。大小さまざまの金属リングが浮遊する勅使川原三郎の演出(撮影=長谷川清徳)

日本で最も多く上演されている外国オペラは、モーツァルト作曲の「魔笛」だ。王子や王女、動物たちが活躍するメルヘン調の作品ながら、モーツァルトも台本作家のシカネーダーも思想結社フリーメーソンの一員だったため、平易な言葉の裏に、独自の世界観や理想をこめた多くの「謎」が隠されている。日本人には難解ともいえる「魔笛」のメッセージを独自のアプローチで解読する試みが今年3月、大分県大分市と神奈川県横浜市、福島県白河市で相次いだ。

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「日本のオペラ年鑑」(文化庁・昭和音楽大学オペラ研究所)によると、2015年に日本で上演された外国のオペラ作品ベストスリーは「魔笛」(55公演)、ヴェルディの「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」(52公演)、ビゼーの「カルメン」(50公演)だった。作曲家別でもモーツァルト(152公演)はヴェルディ(106公演)、プッチーニ(81公演)を抑え、首位に君臨している。

3月11日に大分市のiichiko総合文化センター、18、19日に横浜市の神奈川県民ホールで行われた勅使川原三郎演出の「魔笛」も、昨年9月17、19日に愛知県芸術劇場が新制作した舞台の指揮者、オーケストラ、一部キャストを入れ替えての再演だった。今回は神奈川フィルハーモニー管弦楽団が常任指揮者の若手、川瀬賢太郎とともにピットに入り、本拠の横浜だけでなく大分にも客演した。

「魔笛」は管弦楽を伴う歌と、純粋なセリフを組み合わせたジングシュピール(歌芝居)というスタイルで書かれている。歌なしの管弦楽と純粋なセリフで構成するメロドラマの様式を発展させたもので、後の時代のオペレッタ(喜歌劇)やミュージカルの原点にもなった。

実はジングシュピールが、日本で「魔笛」を上演する際の大きな壁だ。1990年代以前の訳詞上演の時代であれば、歌もセリフも日本語で一貫できた。90年以降、原語上演と字幕スーパーの日本語対訳を組み合わせた上演が主流になるなか、歌のドイツ語はともかく、日本人の歌手が日本人の観客に対し、たどたどしい原語のセリフで語りかける姿は「不自然きわまりない」「滑稽だ」と不評だった。現在では歌がドイツ語、セリフが日本語の上演が主流だが、「歌手のセリフ回し」の水準はどうしても、専業の舞台俳優に及ばない。

コンテンポラリーダンスの創作者・踊り手からオペラの演出へと進出した勅使川原は歌と身体表現を重視、ジングシュピールの要素をばっさり切り捨てた。歌手は歌の部分だけ演技してセリフに当たる部分はほぼ静止、ダンサーの佐東利穂子ひとりが、すべてのストーリーを語る。大がかりな装置もない代わりに「大小様々なサイズの金属のリングが浮遊」し、「円という絶対的であり宇宙的でもある完結した造形空間」(勅使川原)を変化させていく。

川瀬と神奈川フィルが奏でる軽やかに弾む管弦楽と、王子タミーノの金山京介(テノール)と王女パミーナの幸田浩子(ソプラノ)、鳥刺し男パパゲーノの宮本益光(バリトン)ら東京二期会の歌手たちの的確な歌唱。両者が隙なくからみ合った結果、死の年(1791年)のモーツァルトが残した奇跡的に美しい音楽の魅力を味わうには申し分ない公演だった。半面、セリフから浮かび上がるはずの18世紀末ヨーロッパの時代精神などは、ものの見事に消えていた。

たとえば第1幕の冒頭で、大蛇に襲われて気絶したタミーノのところにパパゲーノが現れ、互いを名乗り合う場面。タミーノの発言により、自分の住む国以外に何千もの国や人々が存在することを知ったパパゲーノは即座に「だとすれば、鳥はもっとたくさん、高く売れるかなあ」と、つぶやく。このセリフに現れるスペクラツィオン(英語のスペキュレーション)のドイツ語は相場用語の「投機」に当たる。英国で1760年代に始まった産業革命の時代。貴族でも農民でもない市民階級が形成され、フランス革命へとなだれ込む激変期にあった。パパゲーノもしたたかな商人気質を備えていればこそ、初対面の王子を相手に「君と同じ人間だよ」といえたのである。

神奈川県民ホール、勅使川原三郎演出の「魔笛」。パパゲーノの宮本益光(右端)とパミーナの幸田浩子(左端)。(撮影=長谷川清徳)

モーツァルトやシカネーダーが属していたフリーメーソンの象徴、ダビデの星は上向き(コンパス)と下向き(直角定規)の三角形を2つ重ねており、男と女、陽と陰、天と地、精神と物質など世界の二元性の融和を理想とする。シカネーダーは「ウィーンの芝居小屋のおやじ」程度に思われ、台本作家としての力量も軽視されがちだが、実際には聖歌隊出身で歌がうまく、当時のドイツ語圏きってのシェークスピア俳優でもあるマルチタレントだった。1780年にシカネーダーと知り合って以降、モーツァルトはオペラにおける台本の役割を重視するようになり、傑作「イドメネオ」を生んだ。

1998年に東京・初台の新国立劇場のために新演出を制作したドイツの長老演出家、ミヒャエル・ハンペは「魔笛」が1791年の初演以来、途切れることなくヒットしてきた理由について「貴族と庶民、白人と有色人種、人間と動物といった異なる立場が争いや差別なしに存在できるユートピアを描き、それが今日なお実現していないがゆえに、永遠のメッセージを放つ」と説明していた。シンメトリー(左右対称)を基調とした勅使川原演出も「調和のとれた世界」を志向したが、シカネーダー自身が初演したパパゲーノ役なのに、道化の一面だけを強調するような解釈は、いささか残念に思えた。

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一方、福島県白河市が「白河文化交流館コミネス」開館記念事業として3月20日に上演した「魔笛」も「FUKUSHIMA白河版オペラ」と銘打ち、西洋のオペラに初めて触れる地元の観客に十分配慮した改変を加えていた。構成と演出は宮城県内で長く文化行政のプレーイングマネジャーを務めた後、コミネス初代館長に就いた志賀野桂一。「いなかっぺ大将」「ドラゴンボール」などアニメの脚本家である小山高生に脚本、ミラノ在住の作曲家で指揮者の杉山洋一に音楽監督・編曲・指揮を委ねた「魔笛」の翻案上演はすでに昨年、宮城県多賀城市で実現。基本は再演ながら、地元の様々な要素を取り込んで作り直したため、「白河版」を名乗ったという。

歌唱はドイツ語、セリフは日本語。ともに大胆なカットを施し、いくつかの音楽は歌手ではなく、東北地方で活動する俳優たちの語りに置き換えられたが、ジングシュピールの様式は守っている。

「3人の童子」役を交互に歌った白河市立白河中央中学の女子生徒6人(撮影=平井洋)

普通は若い女性歌手か児童合唱団メンバーが歌う3人の童子では、白河市立白河中央中学の女子生徒6人が2組のローテーションを組む。大蛇や悪役の手下は市立第二中学や東北中学などの生徒、動物たちはより低年齢の子どもたち、挿入される獅子舞は仙台育英学園高校獅子太鼓部の生徒、合唱は開館と同時に市民約80人で発足したコミネス混声合唱団、管弦楽は県ゆかりの奏者による「ふくしま復興祈念オーケストラ」。美術にも画家の加川広重、覆面制作者の阿部美里ら地元アーティストを起用した。ともに東京二期会に所属するタミーノの新海康仁(テノール)、パミーナ(白河版ではコミネスに合わせ、コミーナと改称)の文屋小百合(ソプラノ)の主役2人は優れた歌唱ばかりか、子どもたちの指導にも力を発揮した。

王子タミーノ役のテノール、新海康仁(撮影=平井洋)
文屋小百合が歌ったパミーナの役名は白河文化交流館「コミネス」にちなみ、コミーナに変わった(撮影=平井洋)

パパゲーノ(バリトンの高橋正典)は白河版でも基本コミカルな演技ながら、どこかに商人のしたたかさを漂わせる。「合唱王国」とされる福島県の底力をみせ、ドイツ語で懸命に歌う童子役6人の中学生をはじめ、舞台狭しと動き回る少年少女たちの姿がいつしか、シカネーダーやモーツァルトが予見した「民衆の時代」の申し子のように映る。杉山の指揮は余計な装飾を避け、観客の想像力を刺激しながら、舞台上へと関心を引き寄せる。地域文化の振興に長年携わってきた志賀野館長のノウハウが随所に発揮され、客席との一体感は最高潮に達する――。「手づくり」を装いながら、実は、かなりしたたかな上演に接したのではないかとの満足感が残った。

モーツァルトのオペラでは、ロレンツォ・ダ・ポンテが台本を書いたイタリア語の3作(ダ・ポンテ3部作)が名高い。だが「フィガロの結婚」は夫婦の倦怠(けんたい)期、「ドン・ジョヴァンニ」は淫乱な貴族、「コジ・ファン・トゥッテ」はスワッピング(夫婦交換)を想起させる2組のカップルの交差が前面に出るので、ちゃんと解釈した上演であればあるほど、家族向けとは言いがたい。「魔笛」は謎めいていても、子どもから大人まで楽しめる間口の広さがあり、オペラ入門にも最適だ。作品に秘められた理想、暗号の解読に時間がかかる点でも繰り返し上演、鑑賞する価値があり、傑作の名に恥じない。

(コンテンツ編集部 池田卓夫)

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