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小室哲哉「宇多田ヒカルとiPodが音楽界を変えた」

日経エンタテインメント!

2017/4/24

 近年は、世界的にEDMが音楽のメインストリームになるなか、エレクトロミュージックを早くから取り入れてきた小室哲哉のサウンドへの再評価の機運が高まっている。世界を股にかけ、時代の先端を見続けてきた音楽プロデューサーには、この20年の音楽業界の変化はどう映っているのだろうか。

1958年生まれ、東京都出身。1984年に自身のユニットTM NETWORKのリーダーとしてデビュー。その後プロデューサーとしてtrf、安室奈美恵、華原朋美、globeなどの作品に関わり、ミリオンヒットを連発した。(写真:中村嘉昭)

 「ちょうど98年頃からいろいろなものが予想を上回るスピード感で変化していった。ヒット曲の定義が変わり、パソコンの世界でMP3フォーマットが広まって音楽がデータでやり取りし始められた時期でしたね。

 98年の夏は、ワールドカップ公式アルバムに収録された『TOGETHER NOW』をジャン・ミシェル・ジャール(仏音楽家でユネスコ親善大使)とともに作ったので、大会のセレモニーに出演するためフランスに滞在していました。日本代表チームが初出場した大会だったので、サポーターが現地にもたくさん来て声援を送っていましたね。競技場ではサポーターみんなが『CAN YOU CELEBRATE?』を大合唱して、心を1つにしていました。それを眺めながら、音楽って不思議な力があるんだなって思っていましたね。

 98年の年末はちょうど日本にいたんですが、デビューしたばかりの宇多田ヒカルさんの衝撃がすごかった。大みそかから元旦に切り替わったとき、テレビで『Automatic』のスポットが大量に流れたのを鮮明に覚えています。宇多田さんは、スラングも交えてネイティブな英語を流暢に話すアメリカ育ちの逆輸入なのかと思いきや、お母さんがすごい人(藤圭子)だったり。プロセスや出自など、どこを取っても斬新。それまでの日本の芸能界のスターとは違って、海外のパパラッチが追うような人たちに近いなと感じました。

 当時の僕は、憧れていた海外のミュージシャンの力も借りながら、見よう見まねでできる限りのことをやって、だいぶ近づけたかなという時期でした。でも、そうした枠には収まりきらない子が出てきたんです」

■感じた潮目の変わる時期

 「世間の宇多田さんへの期待感の高さを実感したのは、globeのベストアルバム『CRUISERECORD 1995‐2000』(99年)をリリースする頃でした。それまでにGLAY『REVIEW』(97年)やB'z『B'z The Best“Pleasure”/“Treasure”』(98年)の前例もあり、ヒット曲が並んでいるベスト盤が一番売れる鉄板のアイテムという時代。僕はプロデューサーという立場から、ベスト盤の最高記録を更新したいという思いもありました。でも、当時はインタビューのたびに『宇多田さんの1stアルバムに勝てますか?』って聞かれて、そのたびに答えを濁していたんです(苦笑)。内心は……今だから言いますが、もしかして潮目の変わる時期なのかもしれないと感じていました。

 それ以降は、自分の声で自分の好きな言葉を歌うアーティストが増えていきました。宇多田さんの影響というよりは、彼女をきっかけに、プロデューサーやレコード会社の人の言葉に耳を傾けつつという、音楽業界の暗黙の了解みたいなものがなくなったんだと思います」

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