1997年に「全日本国民的美少女コンテスト」で審査員特別賞を受賞し、芸能界に入った上戸彩。2001年に出演したドラマ『3年B組 金八先生』で性同一性障害を持つ難役を演じて脚光を浴び、映画『あずみ』に主演した03年以降は、『エースをねらえ!』(04年)や『アテンションプリーズ』(06年)、『暴れん坊ママ』(07年)、『絶対零度~未解決事件特命捜査~』(10年)など、連ドラでも主役を務めることが増えた。同時に音楽活動にも取り組み、02年にソロデビューし、一時期は年に4枚のシングルをリリースしていたほど。CM契約数もその当時から10社以上。これだけ多岐にわたり、怒涛の活動をしてきた女優も珍しい。
人気女優がひしめく85~88年組のトップクラスの1人であり、今年活動20周年となる。そんな彼女に、自身とエンタテインメント界の20年を聞いた。

夢を諦めてけじめをつけた
「芸能界っていうものを、仕事として意識できるようになるまでは時間がかかりました。美少女コンテストを受けたのは、エキストラでテレビに映った友達のことを『いいなー』って言ったのを母が聞いて、遊び半分で応募したのがきっかけで。私は保育士になりたかったので、気持ちはずっとさまよっていましたし、いつ一般人に戻ってもよかった。でも、これは本当にありがたいことなんですが、16歳ぐらいから仕事はひっきりなしにあって、それを何年も繰り返しているうちに20歳になり、『もう普通の生活には戻れないんだな』と。それでけじめをつけたというか、チャイルドケアのライセンスを取って、子どもの頃からの保育士の夢を諦めたんです。
20代前半までは、ただただ進むだけって感じでした。『来週からはこの作品に入るぞ』とか、『次はこの作品が待ってるから』とか、次から次へと目まぐるしくて、スケジュールはぎっしり。期待には応えたいけど、『自由な時間が欲しい』って、泣き言みたいなことを言ったこともあります」
転機になったのは25歳のとき。自分の意向も反映する形で作品と出合えたのだという。
「“月9”の『流れ星』のオファーがあったときに、『この役どう思う?』と聞いてもらえたことがとてもうれしくて。これまでにやったことのないような陰のある役だったんです。月9ブランドへの憧れもありましたし、作品への興味もどんどん湧いて、すぐに『やりたい』って言いました。
そうしたら、現場での取り組み方や、役へ向き合う姿勢、視聴率への意識にしても変わってきて、仕事が楽しいと思えるようになって。上戸彩って、やっぱり素の私とは違うというか、皆さんの思うイメージを壊しちゃいけないっていうプレッシャーもあるなかで、どこか人ごと、どこか人任せだったんです。その意識が変わった瞬間でした」