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私の履歴書復刻版

ブッチホンで戦略会議議長に 小渕首相のリーダー力 元アサヒビール社長 樋口広太郎(25)

2017/4/20

 「スーパードライ」の発売でアサヒビールを業界トップに押し上げた名物経営者、樋口広太郎氏(ひぐち・ひろたろう、1926-2012)の「私の履歴書復刻版」。経営の一線を退いた後の樋口氏の活動の中で、一番大きな仕事となったのが当時の小渕内閣の下に発足した経済戦略会議議長でした。その思い出を語ります。

ブッチホン 旅先に議長就任要請 戦略会議、小渕氏が指導力

 夏休みに家族とハワイに行っていた時のことでした。ホテルが一軒しかない無人島のようなところに、突然、日本から電話がかかってきました。よく聞き取れなくて、おかしな電話だなと思っていたら、切れてしまいました。それが、翌日またかかってきたんです。

 なんと、首相の小渕恵三さんからでした。「昨日は途中で切れたので、ご機嫌が悪いのかと思いました。しつこくて済みません」とおっしゃっていました。用件は「経済戦略会議」の議長を引き受けてくれないかということでした。「ちょっと待ってください。私にはそんな大きな仕事はできません。無理です」とお断りしました。ところが、繰り返し何度も電話をいただきました。

 結局、経団連や経済同友会の方々とも相談して、引き受けることに決めました。

 1998年7月に発足した小渕政権の最重点の公約実現のために設けられた経済戦略会議は、私的諮問機関ではなくて、国家行政組織法に基づく八条機関として作られることになっていました。小渕さんは非常に急いでおられて、直ちに発令したいと言うので、私は夏休みの予定を切り上げて急きょ帰国しました。首相官邸に行くのに、アロハのような格好ではまずいので、娘に頼んで空港に服を届けてもらうという慌しさでした。

 こんな具合で、バタバタと経済戦略会議議長に決まりましたが、実はそれまで、小渕さんとは政治の話をしたことはありませんでした。初めてお目にかかったのは佐伯祐三展で、私の近くで絵を見ている方が、当時外務大臣だった小渕さんだと気づいたのです。「佐伯さんの絵はお好きですか」と声をかけたら、「好きなのですが、絵はよくわからないんですよ」と、はにかむように言われました。ところが後で話をした画廊の人から、「いえいえ、小渕さんは絵になかなか詳しいんですよ」と聞きました。

 次にお目にかかったのは、ピアニストの中村紘子さんのコンサートでした。前の席に座っておられた小渕さんは、演奏がクライマックスにさしかかると体を硬くされる。演奏が終わってから「音楽がお好きなんですね」と話しかけたら、また、「好きなんですけど、本当はよくわからないんです」という返事でした。知ったかぶりや虚勢を張るといったことが全くない方でした。

経済戦略会議で、小渕首相(右端)と(99年2月)

 小渕さんは本当に謙虚で真摯な方でした。経済戦略会議については、「私も一生懸命、勉強するから」と言われて、半年間に二十数回開いた会議のすべてに出席し、中座もしませんでした。

 設置1カ月後、デフレが深刻化し、貸し渋りや信用不安が起こり、日本経済は重大なピンチに立たされました。経済戦略会議はこうした事態に対応して、さっそく数十兆円の公的資金の投入や所得税、法人税の減税など、「短期経済政策への緊急提言」をまとめて危機回避に全力を挙げました。

 私たち委員は、当初から答申案の執筆を官僚任せにしないという方針を明らかにして、取りまとめに当たりました。こうして「健全で創造的な競争杜会」を目指して、再び日本経済に活力を取り戻すための道筋を99年2月に答申することができました。各方面から大きな反響がありました。残念ながら、現在、経済戦略会議のシナリオ通りに行かず、厳しい状況にありますが、財政、金融から教育にわたる234項目の提言の6割近くは既に実行に移されていると思います。

 一般に小渕さんは「真空総理」とか言われて中身がないように見られていましたが、とんでもない。審議会などの運営も、決して他人任せではありませんでした。自分がやりたいと思っていることを直接言わないだけで、各種の審議会、委員会を設けて、自分の考え方に近い人を座長や委員に選んで、対話しながら、結局は自分の思う方向に持っていかれたのです。慎重にいろいろな人の意見を聞くけれど、全部自分で決めて、これはと思う時は自ら電話をかけて進めていかれた。

 小渕さんは坂本龍馬を尊敬してやまなかった。その龍馬が書いたと言われる「船中八策」の中の第二策に「万機を参賀せしめ、万機よろしく公議に決すべきこと」とあります。これが常々念頭にあったのではないかと思います。

 夫人とご長女にはお目にかかる機会もあり、小渕首相の活力の源はご家庭にあると拝察していました。しかし、私は知りませんでしたが、小渕さんの体のことを心配する人は多かったようですね。腕力は強くて、ある時、官邸で私が重い物を持ち上げようとしたらとても重くて上げられなかったのに、小渕さんは片手でひょいと持ち上げていました。でもだいぶ前から体はボロボロで、本人もすごく気をつけておられたようです。急逝されたのは誠に残念でなりません。誰にでも親切で粘りがあって人の話もよく聞く、あのようなリーダーを偲ぶ毎日です。

 この連載は、2001年1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および新聞連載に加筆して出版された本「樋口廣太郎 わが経営と人生 ―私の履歴書―」を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。2013年、日経Bizアカデミーで公開した記事を再構成しました。

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