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それでも親子

俳優・六角精児さん 俺を叱咤、母ちゃんのエネルギー

2017/3/29 日本経済新聞 夕刊

1962年兵庫県出身。神奈川県育ち。82年、劇団「善人会議」(現・扉座)の旗揚げに参加。舞台やドラマ、映画などで活躍。5月28日から舞台「俺節」(TBS赤坂ACTシアターなど)に出演予定。

 著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の六角精児さんだ。

 ――お母さんはずいぶん教育熱心だったそうですね。

 「うちの母親は成績にはうるさかったですね。点数が悪いとすごく怒られた。だからテストの紙をどこかに埋めていたんだけど、友達とけんかしたらその友達が掘り返して家に持ってきた。それでまた怒られた。60点ではダメ。80点以上ないとダメでしたね」

 「こんな家は嫌だと思い、小学校のときにプチ家出をしました。夜、家の様子を見に行ったら警察が来ている。まずいと思って帰りました。その時の母ちゃんは優しかった。でも翌日からまた怒られましたね」

 ――お父さんはいかがでしたか。

 「おやじは寡黙で優しい人でした。ただ、いつも難しいことを考えているようで、何を話していいか分からない。お互いにしゃべることに窮しました。おやじは『森の緑が色づいてきた』とか、小学生の僕に言う。僕はついていけないから、『そうだね』としか言えませんでしたよ」

 「小学校3年ぐらいの時、これを読めと最初に渡された本が、田宮虎彦の『足摺岬』だった。暗い本でしたよ。母ちゃんからは山本有三の『真実一路』。野口英世とか北里柴三郎とかの偉い人の伝記も読まされたけど、面白いとは思えませんでしたね」

 ――小学校、中学校と勉強して、神奈川県の名門公立高校に入ったわけですね。

 「高校に入ったら、みんなできるから、いきなりビリのほうになった。母ちゃんはまた怒りましたね。僕は演劇部で全国大会に行くことになったけど、部活なんかやっている場合じゃないと言われた。僕は勉強を途中で諦めたけど母ちゃんは諦めなかった。友達と夜遅くまで遊んでいたら自転車で迎えに来ることもありました」

 「母ちゃんは偏差値好きです。息子にちゃんとしてもらいたいという思いが偏差値に乗り移っていった。週刊誌の大学偏差値ランキングなんかを、僕が大学を辞めてもまだ読んでいたくらいです」

 ――大学を中退して、また怒られた?

 「体育の授業を落として留年し続け、2年生にしかなれず、6年で退学した。怒られましたね。その後、ずっと食えない。生活費が足りなくなって家に帰ると嘆いていました。おやじは寡黙なまま、心の中で応援してくれていました。俳優で飯が食えるようになるまでに随分時間がかかり、親には迷惑をかけました」

 「今思えば、母ちゃんは信念の強い人だった。20年以上怒りを持続させていた。それは大変なこと。人のことを怒るってエネルギーが要る。よく僕にそれだけエネルギーを使ってくれたなって思います。今も僕の演技のアラを探している。あんなんじゃあかんと。僕のことでエネルギーを使い続けていますよ」

[日本経済新聞夕刊2017年3月28日付]

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