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博水社(東京・目黒)という社名を知らなくても、看板商品の「ハイサワー」なら聞いたことがあるという方は多いはず。創業は1928年。もとはラムネ等を製造していたが、先代が生き残りをかけて焼酎の割り材を開発。以来、そのトップランナーとして走り続けている。3代目の田中秀子氏は柔らかい雰囲気の持ち主ながら、底知れぬバイタリティーも感じさせる。小さくても、笑顔の絶えない会社を作り上げた跡取り娘の奮闘記だ。

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短大を卒業して博水社に入社したのは、1982年のことでした。父が開発した看板商品「ハイサワーレモン」の売り上げがぐんぐん伸びていた頃で、入社して間もなく工場で使う資材の調達を任されました。

子どもの頃から工場を遊び場にして育ちましたから、「大船に乗ったつもりで私に任せてよ!」くらいの気持ちでいたのです。それが大間違い。実際に入社してみたら、工場の人たちが使う言葉がちんぷんかんぷんで、さっぱりわかりませんでした。

「ブリックス値がいくらで、殺菌温度をいくらにするとPhはいくらで……」「ガス圧のボリュームはこれでいいかな」「クエン酸の酸度はこれくらい?」そのすべてが「えっ、ちょっと待って。ブリックス値って何? 糖度のこと?」という感じ。日本語とは思えないくらいに理解不能でした。

失敗は数え切れないほど

これは今にして思えばですが、あの頃はちょうど容器の主流がガラス瓶からペットボトルへと切り替わっていく時期でもありました。同じように見えるペットボトルでも、「目付」と呼ぶ規格によって「重さ」「薄さ」「強度」などに違いがあります。誤って発注をかけると、中身を充填した際、炭酸ガスでペットボトルがパンパンに膨れたり、キャップが盛り上がったりしてしまう。当時はそんな知識もほとんどなくて、日々、悪戦苦闘していました。

生産現場のことを知らないといけないと、そこで、醸造学を学ぶため東京農業大学に社会人入学し、改めて勉強することにしました。蔵元の息子さんたちなどが通うコースで、まだ運転免許証も持っていませんでしたから、バスで自宅と会社と学校を行ったり来たりしました。

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