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post 2020~次世代の挑戦者たち

「やり切った!」北京五輪 朝原氏、引退後も支えに アスリートネットワークの朝原宣治副理事長に聞く(2)

公認会計士・心理カウンセラー 藤田耕司

2017/3/22

アスリートネットワークの朝原宣治副理事長

 2008年北京五輪陸上男子400メートルリレー銅メダルの朝原宣治氏(現アスリートネットワーク副理事長)は、その4年前のアテネ五輪で「どん底」を味わい、引退も頭をよぎった。だが、「やり切った」感覚を求め、現役続行を決意する。朝原氏はどのように再び自分を追い込み、そして結果を残すことができたのか。その経験は20年東京五輪・パラリンピック後の時代「post2020」に第二の人生を歩むアスリートだけでなく、多くの人にとっての指針になりそうだ。(聞き手は公認会計士・心理カウンセラー 藤田耕司)

 ――ジャマイカの選手によるドーピング問題で、朝原さんたちの北京五輪のメダルが銅から銀に繰り上がるかもしれないといったニュースが世界を駆け巡りましたが、どういう心境ですか。

 「我々が3位に入った瞬間が事実だと思っていましたし、もらった銅メダルに愛着もわいていますから、正直、複雑な心境ですね」

 ――当時は36歳でしたね。若くはなかったはずですが、しっかりとトップアスリートとして結果を出しました。

 「実は04年のアテネ五輪の後、『もう32歳だから、そろそろ自分も潮時かな』と、そのままフェードアウトしようと思っていました。選手としては燃え尽きた感じがあり、気持ちは引退に向かっていました」

 ――アテネ五輪は100メートルが2次予選進出で、400メートルリレーが4位。気持ちの整理はついていたのですか。

 「その時はどん底の状態でした。自分の中で選手として『やり切った!』という感じもありませんでしたね。成績についてもそうですが、自らの生き方としても『やり切った!』と言えない状態。このまま引退すると自分の価値がどんどん落ちていって、それとともに自信もなくなっていくだろうなと感じていました」

 ――どん底状態の32歳のときに現役続行を決断できたのは、なぜですか。

 「その年齢で一度落ちたモチベーションと体力を戻すのは、かなり難しいと分かっていました。でも、もしこのどん底から復活できたら、それは競技への自信だけではなく、自分自身への自信も取り戻せると思いました。大きな賭けでしたよ。それでも、そこに賭けることでいろいろなものが戻ってくるのではないかと思ったのです」

 ――現役を続けたうえで結果を出すために、当時どんなことを意識したのですか。

北京五輪男子陸上400メートルリレーでアンカーを務めた朝原氏(右)

 「07年に世界陸上選手権が大阪で開催されることになり、私は地元が関西ですから、そこで活躍したいという気持ちがありました。地元での世界陸上で結果を残して引退というのが最高の引退の仕方だなと。この大会がきっかけで『また世界に向かって頑張ろう』という意識を取り戻すことができました。現役時代に地元の大きな大会に出る機会には、なかなかめぐり合えないんですね。その意味では20年東京五輪・パラリンピックは日本のアスリートにとって、非常に恵まれた機会だと思います」

 ――世界で戦う意識を高めながら、具体的には、どんな行動を起こしたのでしょうか。

 「所属している大阪ガスに『世界陸上大阪大会で結果を残す』と宣言しました。そうやって自分を追い込んでからトレーニングを再開しました。ただ、一度落ちたモチベーションと体力を戻すのは大変でした。トレーニングしても思ったように数値が戻らないんです。『ああ、やっぱり復活は無理かな』と思った時期もありました。でも、世界陸上で結果を残すと宣言したので、大阪ガスでは全社を挙げて自分を応援してくれるということになっていたんです。私設応援団もできていて」

 ――その時点で07年世界陸上大阪大会の出場権は持っていたのですか。

 「いや、持っていないですよ。そこから選考会を勝ち抜いていかないといけなかったので、そもそも出られるかどうかも分からない状況だったんです。トレーニングでの数値も全然戻らないので、『これ、大丈夫かな』と焦りました。アスリートは成績がすべて。よい成績が出ないと競技に対する不安だけでなく、その後の将来のキャリアへの不安も襲ってきます。この両方の不安にもさいなまれていました」

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