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会社帰りに「死んで」みた 終活への関心、若い世代も

2017/3/17

 ある平日の午後9時すぎ。東京都豊島区の寺院、金剛院の敷地内にある建物の入り口から光が漏れ、ぞろぞろと女性たちが出てきました。彼女たちはみな、同寺で開催された「死の体験旅行」というワークショップに参加していました。平日の夜、会社帰りに「死」を体験するというこのイベントは、チケットがすぐに完売するほどの人気です。

 「終活」は高齢者だけの関心事かと思えば、実はそうではないようです。寺やカフェで行われる「死を見つめる」イベントを支える僧侶や関係者に話を聞きました。

■「大切なもの」を次々捨てて、死に至る

 金剛院で月1回開催されているワークショップ「死の体験旅行~自分と向きあう大切な時間」は、敷地内のコミュニティースペース「蓮華堂」の一室で、倶生山なごみ庵(横浜市神奈川区)の住職の浦上哲也さんを迎え、死を思考で疑似体験するというものです。運よくチケットが手配でき、筆者も参加してみました。

 開始前に会場に入ると、既に満席。左右の壁に向かって座る男女が30人ほど。前だけを見てただ無言で座っている人々の姿は、学習塾、あるいは説教部屋のようです。

「死の体験旅行」のファシリテーターを務める僧侶、浦上哲也さん

 この「旅行」の参加者は、座ったままで、ファシリテーター(進行役)である浦上住職が読み上げるストーリーを聞きながら、死を前にしたときの自分の心を想像します。事前に自分の「大切なもの」を紙に書いて机の上に並べておきますが、ナレーションの進行にあわせてそれらから1枚、ときには複数枚を選び、グシャリと手のひらで潰し、床に捨てていくのです。

 死が近づくと、残された紙が減っていきます。そして最後に残ったものは、なんだろう――を考えるというものです。その1枚は、自分の人生で、どういう意味があるのか。終わりのほうで、その結果について4、5人のグループと、全体とで2回シェアする時間があります。死ぬ寸前まで自分が何に執着をして、それが何を意味するのかを、グループワークで話す中で気づきがあり、面白い体験でした。その回では、最後に残ったものが「大切な家族(とりわけ母親)」という人が多かったのですが、中には「iPhone」という人もいました。「歌を歌う」という行動を選んだ人もいました。

■人生には選択肢が多すぎる

 筆者がそこで気付いたことが2つありました。まず、人生で最後まで手離したくないものとは必ずしも「自分にとって大事な人」ではなく、人生で執着しているものなのだ、ということでした。意外にも、この世界で一番関係性に問題があり、人生の悩みの種である肉親が最後の1枚に残りました。「彼女とは、このままの関係で終わりにしてはいけない」と無意識に感じていたのだ、と自分の心の内を知ることができて、驚きました。

 もう一つ気付いたのは、人生には選択肢が多すぎる、ということ。紙を捨てる過程が非常に苦しかったのです。生きるということは常に能動的に何かを決めないといけないという現実に改めて考えが及びました。死んだ瞬間は、その全てから解放されたような気分でとてもスッキリし、あまり恐怖を感じることはありませんでした。

 参加者の多くが「死を想像したことで、今自分が生きていることを改めて考えさせられた」「有意義な気づきだった」と、満足そうでした。

 みんなで“死んだ”後は、「今日は命日ですね。ここにいる人たちはみな同じ日ですね」というユーモアたっぷりの浦上住職の言葉で会は終了。自己紹介の時間があるわけでもなく、職業も名前も明かさず、ただ一緒に「死」を考えただけの2時間。参加費用は3000円。次回のチケットも既に完売で、人気の高さが伺えます。

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