山田洋次監督の原点 舞台「マリウス」が音楽劇に
山田洋次といえば誰もが知っている大物映画監督だが、実は舞台を大切にする演劇人でもある。東京の日生劇場で上演しているフランス演劇の名作「マリウス」は「男はつらいよ」の寅さんシリーズを生んだ原点。それだけに演出に寄せる思いは深い。これは映画と演劇を結ぶ記念碑的上演だ。
1929年に初演された「マリウス」は地中海に面した港町マルセイユの物語。作者はフランスの国民的作家マルセル・パニョルで、戦前から日本人に親しまれた芝居である。実はこの戯曲との出合いが山田洋次監督をドラマの道に進ませた。こう書いている。
「ぼくの学生時代だからもうずいぶん昔の話だが演劇好きな友人にこの本を『必ず返してくれよ』と念をおされて、というのはまだ戦後だったその頃この本は古本屋では学生には手が出ないほどの高価な値がついていたので、カバーをして大切に読んだ時の興奮をよく覚えている。フランスと云(い)えば実存主義であり、サルトル、カミュ、コクトーだと思っていたのに、なんとここには日本人しか分からないと思っていた落語や浪花節の人情の世界がマルセーユを舞台にしてたっぷりと描かれているではないか」(パンフレットから)
舞台「マリウス」はこんな話だ。セザールという男が経営するカフェの一人息子マリウスは幼なじみのファニーと相思相愛の仲。けれども船乗りにあこがれるマリウスはなかなかプロポーズしない。まわりがしびれを切らし、マリウスもそのつもりになったところでファニーは身を引く。彼の夢を察して、自分が邪魔にならないようにしたのである。ある夜ふたりは結ばれ、ファニーは子を宿す。が、すでにマリウスは船上の人。気をもむ周囲はファニーを愛する年配の金持ちで、人のいい独身男パニスに急いで添わせる。
好きで好きで仕方ないのに、相手を思いやる気持ちが強すぎて結ばれない。やつれて戻ってくるマリウスはマルセイユに本当は住みたいのに、居場所はもうない。このドラマには悪人はひとりも出てこない。皆、人情家で笑いを好む人たちであり、若い人たちの幸福を心から願っている。ファニーを愛するパニスでさえ、いつでも身を引く気持ちなのだ。「言い出せなくて……」という含羞が皮肉な展開を生んで、運命の歯車を望まない方へと回してしまう。
初演当時のマルセイユは遠洋航海の基地であり、欧州の玄関口だった。フランス人にすれば広い世界へ出て行く雄飛の地であり、日本人にすれば「洋行」の入り口であった。パリを目指した日本の画家の卵が最初に降り立ったところ。日仏双方でこの芝居に人気があったのは、港町のにおいがノスタルジーをかきたてたからだろう。船乗りたちが安酒場につどう港では、男と女の出会いと別れがさまざまな形で繰り返されたに違いない。パニョルは「マリウス」「ファニー」「セザール」の3部作を書き、港の活気を背景に普通の人々の哀歓を描き出したのである。
こうした「マリウス」の世界に心ひかれた山田洋次青年は、いいなと思ったセリフをノートに書き写したという。「それから十数年経(た)ってぼくが新人監督だった頃、フジテレビ局から渥美清さん主演のテレビシリーズの脚本を書かないかという提案を受けたときにすぐに浮かんだのがこの芝居のことだった。パニョルが創造したマリウス、ファニー、セザールをはじめとする愛すべき人物たちにぼくが少年時代から好きだった落語の登場人物である熊さん八さんご隠居さんたちを重ね合わせて作り上げたのが寅さんシリーズの世界なのだ」(同)
マルセイユを葛飾柴又に、カフェをおいちゃん、おばちゃんの団子屋に換えれば「男はつらいよ」の下町になるというわけだ。むろんフランスのエスプリは落語の人情味に取って代わるが、漂泊の風に吹かれて去っていく風来坊、寅さんにはマリウスの面影が確かにあるだろう。日仏の間にこんなドラマの交換があったのだ。
今回は演出の山田洋次自身が「マリウス」と「ファニー」を原作に脚本を書き、長谷川雅大が音楽監督となって音楽劇に仕立てた。NHKの朝の連続ドラマ「てっぱん」のヒロインだった瀧本美織のファニーがとてもいい。昭和の折り目正しさを思わせる古風な話し言葉をくっきりと話し、語尾が美しい。まるで小津安二郎の映画を見ているような気分になった。マリウスは難役といえ、今井翼が懸命だ。
寅さんシリーズで脇役が大事だったように、今回はセザールにベテラン柄本明を配し、つっけんどんだが慈愛のにじむ父親を印象づける。受け身の演技ながら、舞台の芯となっていたのはさすがだ。パニスを演じる落語家、林家正蔵は先に桑原裕子作品でも舞台に立った。いかんせん、芝居の呼吸はこれから。とはいえ、持ち前の哀愁は天性のものだろう。
人間の機微をつかまえる山田演出の妙が要所で光るだけに、音楽劇としてフレームアップした再演をぜひ見たい。海外では近年、オペラ化されて成功した例がある。劇場が大きいからフラメンコの熱狂や出港時の「ラ・マルセイエーズ」の歓喜など音楽面によりパンチをきかせたいし、全体に演技の瞬発力を磨きたい。歌を増やし、グランドミュージカルとして成長させたい舞台である。
山田洋次が演劇にかかわり始めたのは10年前。亡くなった十八代目中村勘三郎が落語でも知られる「人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)」をシネマ歌舞伎にする際、補綴(ほてつ)を頼んだのだ。勘三郎は現代演劇の串田和美や野田秀樹を歌舞伎にかかわらせ、アングラ演劇の唐十郎にならったテント劇場を平成中村座で実現した。いかに強力な演劇界の熱源だったかがしのばれる。
その勘三郎の縁から発展したのが新派の演出だった。姉の女優、波乃久里子が自ら所属する劇団新派を演出してほしい、と口説き落とした。それで上演されたのが小津安二郎の映画を舞台化した「麦秋」と「東京物語」である。この「マリウス」同様、昭和の話し言葉が大切にされていた。
家族が今ほど壊れていなかった昭和の濃厚な感情をきちんと演じられるのは今や古風さを残した新派と文学座くらい。花柳章太郎、初代水谷八重子らの演じ方を受け継ぐ新派が山田洋次に新しい血を吹き込み、映画「東京家族」を撮らせたともみえる。松竹との長年の関係から「さらば八月の大地」(鄭義信作)という力作も生まれ、今回の「マリウス」にいたっている。
近年、舞台の演出を手がける映画監督が目につくようになってきた。東京で上演される芝居の本数は世界有数だが、明らかに演出家が足りないのである。ただ成り立ちや文法が違うからか、なかなか成功しない。映画は編集作業で場面をつなげることができるが、演劇は役者の居どころが難しい。舞台の出入りやセリフがないときの役者をどう処理するかが大きな課題となる。逆もしかりで、舞台演出家の撮る映画にも成功例は少ない。
ところが海外を見渡せば、イングマール・ベルイマン、ルキノ・ヴィスコンティ、フランコ・ゼフィレッリ、ケネス・ブラナーなど、演劇と映画を両立させている巨匠は枚挙にいとまがない。ベルイマンが演出した「サド侯爵夫人」を超える三島由紀夫作品をまだ見たことがないほどだ。演劇映画の高等教育が同根で発達している欧米では、現れる形が違ってもドラマとしては同じという認識があるようだ。日本でも新劇の俳優教育がしっかりしていた昭和までは映画を演劇人が支えていた面があり、実際に小津安二郎や成瀬巳喜男の作品に見事に結実している。映画と演劇をつなぐ仕事には伝統も可能性もあるのに、今の日本には穴を埋められるだけの才能がいない。山田洋次の仕事が注目されるゆえんだ。
さて「マリウス」は演劇界では文学座がくりかえし上演してきた座の代表的レパートリーである。なにしろ初演から10年後に「蒼海亭(そうかいてい)」の題で早くも上演している。そのときの配役がすごい。マリウスに森雅之、セザールに三津田健、その妻に杉村春子、パニスに中村伸郎。ファニーは森と結婚する堀越節子だった。私は生前の中村伸郎に何度もインタビューしたが、最も好きな芝居は「マリウス」であり、好きな役もパニスだったと話していた。
愛する女性に本心を告げず、若い男のために恋文を代筆する騎士シラノ・ド・ベルジュラックは男優にとって最高の役とみられることがある。島田正吾、緒形拳、三津田健らが心をこめたし、今は江守徹が大事にしている。老いの寂しさから、若い男に道を空けようとするパリスはいってみればシラノ風、本当に演じがいのある役だろう。林家正蔵よ、がんばれ。思えば、小津映画の名脇役、中村伸郎は30歳そこそこで老いの憂いを演じていたことになる。おそるべき老成といえようか。
昔の役者は大人だったと嘆いていても仕方がない。成年の幼さが加速する日本の今だけに、山田洋次の大人の演劇に大いに期待しよう。
松竹制作。3月27日まで、東京・日生劇場。
(編集委員 内田洋一)
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