日経ナショナル ジオグラフィック社

フェアチャイルドは手始めに、温暖な気候が日本と似ている太平洋沿岸のカリフォルニア州へ桜の苗木のサンプルを送ったが、サンフランシスコに到着後、桜の知識を全く持たない植物研究者の手によって枯れてしまった。

当時、桜をよく理解していた人物が、ワシントンの女性ジャーナリスト、エライザ・シドモアだった。兄が駐日米領事館の外交官だったため、日本をよく訪れていたシドモアは、ワシントンへ戻る度に日本で目にした美しい桜の話を周囲の人々に語っていた。しかし、サクランボの実らない木に興味を示すものはいなかった。

桜の枝に手をやる女性。1922年のナショナル ジオグラフィック誌に掲載された特集『日本の農村生活』より。(PHOTOGRAPH BY KIYOSHI SAKAMOTO, NATIONAL GEOGRAPHIC)

外国の作物に抵抗感を示す米国人が多いことをよく分かっていたフェアチャイルドは、まず125本の桜の木を取り寄せて、メリーランド州チェビーチェイスにある自宅の前庭に植えることにした。米国からの注文が入ったことに大喜びした横浜植木の社長は、1本わずか10セントという破格値で発送したという。

フェアチャイルドの庭に桜の木が植えられ、ふんわりと柔らかなピンクの花を実際に目にしたワシントンの人々は、ようやくその美しさに気付いた。サクランボが実るかどうかを気にするものはいない。そして1909年3月、誰よりもその魅力のとりこになったのが、大統領夫人になったばかりのヘレン・タフトだった。ワシントンDCの街の美化政策として桜を植えてはどうかと夫のタフト大統領に持ちかけたところ、日本との友好関係を結ぶよい機会になると感じた大統領もこれに賛成した。

タイダルベイスンの北側で、目を閉じて祈るように桜の花に触れる女性。撮影年は不明。(PHOTOGRAPH BY CLIFTON R. ADAMS, NATIONAL GEOGRAPHIC)

ところが1909年の秋、東京市長から送られた2000本の若木は、ほとんどが瀕死の状態でワシントンに到着したという。切られた根が短すぎ、病害虫にも侵されていた。外来害虫の侵入を恐れた農務省の昆虫学者は、ワシントンのナショナル・モールで木をすべて焼却するしかなかった。その後1912年、日本は再び、背の高い成木3020本を送り、無事に植樹が行われた。

当時の桜のほとんどは、現在は残っていない。元々の3020本のうち今も生存しているのは、ワシントン記念塔の近くに残る2本のみだ。しかし、その後新たな植樹を繰り返し、今日ワシントンの桜並木には3800本の桜が植えられている。

(次ページで100年前の美しい桜写真5点を紹介)

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