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千葉県市川市にある名門私立校の市川中学・高校。進学実績が伸び悩むなか、学校改革に挑んだのは元東芝副社長の古賀正一理事長(80)だ。古巣の東芝は経営難にあえぐが、ビジネスマン時代に身につけたノウハウを活用して、ハード、ソフト両面の改革を次々断行し、東京大学の合格者数を2ケタに乗せるなど着実に進学実績を伸ばしている。古賀氏はどのようにして名門校を復活させたのか。

東大から東芝 教育者になる気はなかった

「『歩き回る経営』を唱えたのは米ヒューレット・パッカード(HP)の創業者でしたかね。企業は現場第一ですが、学校もそうです。今も授業を見てきましたけど、とにかく学校の中を歩き回っています」。古賀氏はこう話す。1936年生まれで年齢は80歳になるが、今も現役バリバリだ。

古賀氏は、東京大学工学部で電子工学を専攻し、59年に東芝に入社。コンピューター部門を歩んだ生粋のエンジニア。西室泰三社長時代の96年に副社長になった。実は古賀氏は東芝の部長時代からもう一つの肩書を持った。

父親は市川中高や幼稚園などを運営する市川学園の創始者で教育者の米吉氏。「当初は学校を継ぐ意志はなかった。父もそう求めなかった」というが、父親が他界した際、周囲から理事長に就任するようにすすめられた。

土光さんも母の学校の理事長

当時は40歳代で海外出張など多忙を極めていたが、東芝の人事担当役員は「土光さんも母親の創った学校の理事長をやっていたのだから、君もやればいいじゃないか」といわれ、引き受けることにした。

60年代、東芝を再建した元社長の土光敏夫氏は、母親の登美さんの影響を強く受けていたといわれる。登美さんは1942年(昭和17年)、70歳の時に、たった一人で女子中学校、橘学苑(横浜市)を創立。その後、土光氏は橘学苑の理事長を兼任しながら、石川島播磨重工業(現IHI)や東芝の経営を立て直した。

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