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孤高の画家「田中一村」も魅了、奄美をゆく(上)

鹿児島県の奄美大島

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NIKKEI STYLE

2月1日、沖縄本島北部や西表島などと共にユネスコの「世界自然遺産」への登録が推薦された奄美大島(鹿児島県)。島全体を覆い尽くすように亜熱帯照葉樹林が広がり、希少野生動物が生息する手つかずの大自然が残る貴重なエリアだ。大島紬や島唄など島人が脈々と育んできた文化も息づく、この緑豊かな島の魅力を2回にわたって紹介する。1回目は南国の風景に魅せられ、晩年に移り住んだ孤高の画家の足跡をたどった。

一村 50歳の時に奄美に移住

画家の名は田中一村(1908~77)。幼少期から才能を発揮し、東京美術学校へ入学するも中退。同期に東山魁夷や橋本明治らがいた。中央画壇に背を向け、生活苦の中で画業に打ち込んだ。50歳の時、奄美の自然に魅せられて移住。以来、紬(つむぎ)工場で染色工として働きながら亜熱帯の植物や鳥などを描き、新境地を開いた。生涯独身を貫き、作品を発表することもなく69歳の生涯を閉じた。その名が全国に知られるようになったのは死後、NHKの「日曜美術館」で紹介されてからだ。

奄美空港に降り立つと、真っ先に訪ねたのが空港にほど近い公共施設、奄美パーク内にある「田中一村記念美術館」。高倉と呼ばれる奄美地方独特の高床式倉庫を模した斬新な建物に、一村が命を削りながら描いた作品の数々が展示されている。「わざわざ絵を見るためだけに全国から足を運ぶファンもいる。残念ながら中央画壇からは認められなかったが、その反骨心と奄美の風景が融合して出来上がった迫力ある作品が人々の心を打つのではないか」。そう話すのは同美術館の花山潤治学芸専門員だ。

美術館は東京、千葉、奄美時代に分かれて作品を展示しているが、一村芸術の集大成になったのが奄美時代の絵だろう。その色彩は全体的に豊かで、細かな葉やひだを繊細なタッチで描いている。

パイナップルのような実をつけるアダンやクワズイモ、ソテツなどの亜熱帯植物、ルリカケスやアカヒゲなど南国の原生林に生息する野鳥を好んで描いた。

奄美の植物、野鳥、神が宿る

実際、奄美の森に入ると、こうした植物や野鳥を見ることができる。思わず目がくぎ付けになったのが、岩の上で虚空をにらむ真っ赤な野鳥、アカショウビンの絵だ。その姿は気高くりりしく、他者を寄せ付けないピンと張り詰めた空気を漂わせる。まるで一村が乗り移ったかのように思えた。

絵の中によく登場するのが「立神」(たちがみ)。海の向こうの楽園から神がやって来て恵みをもたらすという「ネリヤカナヤ(沖縄ではニライカナイ)伝説」に登場する小島だ。人々は神の宿る場所として立神に手を合わせて祈る。奄美の海岸にはこうした小島が点在している。一村も立神を見て、神の宿りを感じたのだろうか。

大島紬 夏の作業は過酷

次に向かったのが大島紬の製作工程を見学できる観光施設「大島紬村」。実際に働いた工場はもう現存しないが、どのような仕事をしたのか知りたくて訪ねた。一村が主に担当したのが「すり込み工程」。指定された染料をヘラに取り、紬の一本一本にすり込んでいく大変根気のいる作業。ただ、画業で培われた集中力がここでも生きたようで、染色工としての腕も一流だったようだ。

むしろ苦しんだのが蒸気で色を定着させる工程。「今は機械化されたが、当時は冷房もない部屋で蒸気の中での作業だったので、真夏は相当過酷だったはず」と話すのは大島紬村の越間教裕さん。事実、一村が62年に叔父に宛てた手紙の中で「夏の工場内は地獄の釜の如く蒸し暑く」と作業の大変さをつづっている。

住空間はわずか4畳半

奄美市名瀬の有屋地区には、亡くなる10日ほど前に引っ越し、最期を迎えた終焉(しゅうえん)の家がある。98年に別の場所にあった家を今の地に移築した。毎年、命日の9月11日に一村をしのぶ会をこの家で開く有志の集まり「一村会」のメンバーに案内してもらった。トタン屋根の古い木造家屋。扉はところどころ朽ち果て、今にも倒れそうなあずまやだ。一村会のメンバーが家の周囲に植えた植物は20年近い歳月を経て巨大な姿に形を変え、廃屋を包み込むようにたたずむ。家の中をのぞくと住居空間はわずか4畳半程度。「こんな狭い家で生活し創作活動をしていたのか」。そう思うと胸が痛んだ。

一村が奄美に来て最初に住んだ国立療養所奄美和光園の宿舎跡にも立ち寄った。今でこそ裏山にトンネルが掘られ、バイパス道が通って車の往来も激しいが、当時は主要道から遠く人里離れた寂しい場所だった。今も周囲は草で覆われ、往時をしのばせる。

そこから紬工場まで約4キロの道のりを歩いて通った。途中、遠回りして峠道や林道などに入り、植物や生物のスケッチをして絵の着想を練ったともいわれる。一心不乱にスケッチする姿をタクシー運転手に何度も目撃されている。一村会の美佐恒七会長は「こんなにすごい画家がいたことは奄美の誇り。ぜひ、多くの人にその存在を知ってほしい」と話す。

一村は千葉市に住む姉・喜美子を慕い、その姉も弟の才能を信じて生活苦を支えた。65年にその姉を亡くし精神的支柱を失って以降、中央で個展を開くという夢も薄れていったという。奄美の代表的な島唄の1つに「よいすら節」という唄がある。航海に出た兄弟の無事を祈り、霊的に守る姉妹の神信仰を歌ったものだ。その唄の世界はまさに遠くに住む姉に見守られながら、奄美の地で画業に励む一村の姿と見事に重なる。その魂は今なお奄美の自然の中に宿っているように感じた。

(高橋敬治)

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