まるごと現代アートの宿に泊まる 新潟県「光の館」
世の中、数えきれないほどの宿があるが、建物そのものが芸術作品という宿は、それほど多くはない。現代美術界の巨匠、ジェームズ・タレルが2000年に造った「光の館」(新潟県十日町市)は、泊まることによって、現代アートの洗礼が受けられる特別な場だ。米ロサンゼルスに生まれたタレルは、光を巧みに操る芸術家として知られ、またの名を「光の魔術師」といわれている。日本での活躍もめざましく、作品は、金沢21世紀美術館、地中美術館、熊本市現代美術館などにも展示されている。
アートトリエンナーレのために建てた作品
この建物は、2000年から行われている「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の第1回の作品である。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」は、高齢化が進む新潟の過疎地である十日町市、津南町を中心に、3年に1度ずつ開催されてきた。今では、世界最大級の国際芸術祭として認知され、アートを介した地域づくりのお手本として高い評価を得ている。毎回、世界の名だたる芸術家の作品が展示され、そのいくつかは芸術祭が終わったあともそのまま現地に残されている。女性雑誌や美術関係の雑誌で取り上げられることも多く、人気が高い。「光の館」は、建物全体が美術作品となっているのはもちろん、うれしいことに安価で宿泊することができる。早速、仲間と一緒に体験してみることにした。
複数のグループで同宿することもある
1階、2階で3つの和室があり、最大16人が宿泊することができる。タレルは、複数のグループがこの家でコミュニケーションをはかりながら泊まってもらうことを目的にしていたようで、少人数のときには、複数のグループが同宿するシステムになっている。だから、一緒に泊まる人たちといろいろなことを話し合いながら、決めていかなければならない。
取材班が泊まったときには、もうひとグループがいて、どの部屋を使うか、お風呂の順番はどうするかなどを、代表者がジャンケンで決めた。そんなことをしていくなかで、仲間意識が自然に芽生え、コミュニケーションをとるようになっていく。料理は、備えつけのキッチンで自炊してもいいし、ケータリングサービスで届けてもらってもいい(予約が必要)。キッチンには、基本的な調理道具はそろっており、自由に使うことができる。飲み物は用意されていないので、自分たちで持ち込まなければならない。ケータリングは、2000円と3000円のセットがあり、取材班は3000円の料理を注文した。地元の素材を生かしたなかなか豪華な料理で、大満足。まわりにはあまり民家はなく、静かな雰囲気のなかで仲間と酒を酌み交わす時間は、格別なひと時になった。
動く額絵のような"アウトサイドイン"
1階は、8畳の和室と浴室。和室からは障子越しに飛び石がある庭が眺められる。2階は、12.5畳の和室"アウトサイドイン"と6畳の和室、キッチンがある。「光の館」というだけあって、各部屋や廊下の天井、床の間などには赤やオレンジ色などのLED照明が使用され、タレルならではの美しい光の演出がされている。
目玉といえるのが、"アウトサイドイン"と呼ばれる和室。スイッチを入れると屋根が動き出し、天井がすっぽりとあいて空が直接見えるようになっている。そこはまるで、空をテーマにした"動く額絵"のようだ。夕暮れの空の色がだんだんと変わっていく様子がよくわかる。宿泊客全員があおむけに寝ころんで、空の景色の移り変わりを楽しむ。ときには、鳥が飛んできて一枚の絵の中に参加したりする。照明の色を変化させる「ライトプログラム」が始まると、天井を照らす照明の色や強さが変化していき、目の錯覚なのか、同時に額絵の色や濃さも変わっていくように見えるから不思議だ。
タレルは、この家を造るにあたって、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を設計のコンセプトにしたそうだ。谷崎は、まだ電灯がなかったころの日本は、自然が持つ陰影を芸術としていたという。額絵と天井の関係は、東洋と西洋の心が合体した風景のようにも思える。
下半身だけが青白く幻想的に光る
正直、いちばん驚いたのが風呂である。光ファイバーが浴槽やドアのまわりなどに張りめぐらされ、夜は、ほかには照明がないので、ほぼ真っ暗。自分の体すらよくわからない。ほかの人間の姿もうっすらと見えるくらいだ。そして、湯船に入ってビックリ。お湯の中につかっている体だけが、青白く光っているではないか。手を動かすと、浴槽の水面がさざ波のようにキラキラと色を変えていく。その幻想的な姿にうっとりしてしまう。
困ったのは、ボディーシャンプー、シャンプー、リンスがまったくどれか見分けがつかないこと。とりあえず、何でもいいやという思いで洗うだけである。こういう体験はここでしかできないのではないだろうか。
翌朝、2階にある長い回廊に出てみると、越後三山などの山々の麓に深い霧がいく層にもあらわれて、これまた幻想的な世界が広がっていた。たった1泊ではあったが、夢のような時間が流れていく感じがしたものだ。過疎の町にある宿にもかかわらず、すぐに予約で埋まってしまうほどの人気なので、泊まりたい人は早めに予約したほうがよさそうだ。
絶対に味わいたい、名物のへぎそば
「光の館」に泊まるなら、お昼ごはんは、十日町名物の「へぎそば」がおすすめ。海藻である布海苔(ふのり)をつなぎに使った、この地方独特のそばだ。「へぎそば」のへぎ(片木)とは、「はぎ」がなまったもので、木をはいだ板を使った四角い箱に盛ることからそう呼ばれるようになった。そばは、ひと口分ずつ波形に盛られて提供される。このように美しく盛るには、そばのコシが強くなければならない。この地方は、昔から織物が盛んで、仕上げの糊(のり)づけ用に布海苔が使われており、十日町にある小嶋屋総本店の初代・小林重太郎が、コシを出すそばのつなぎとして布海苔を使ったのが始まりといわれている。この地方ならではのそば「へぎそば」は、必ず食べておきたいグルメだ。
(エフジー武蔵)
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