ショパンを慈しむかのように ポリーニの熟成
クラシックCD・今月の3点
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
イタリアのピアニスト、ポリーニは今年1月5日で75歳になった。1960年のショパン国際ピアノコンクールで審査員全員一致の優勝を獲得し、60年近くが流れた。18歳ですでに「誰よりもうまく弾く」(審査委員長の巨匠ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインの言葉)といわれたが、ポリーニ自身は「技」ではなく「知」に磨きをかけるために8年間、演奏活動をセーブした。71年にドイツ・グラモフォン(DG)と契約、翌年録音したショパン「12の練習曲(エチュード)集作品10&12全曲」の凄絶なまでに完璧な演奏は、次元を異にする超絶技巧のピアニストの登場を印象づけた。
日本でも74年の初来日以来、最も人気の高い演奏家の1人であり続け、「ポリーニ以外のショパン演奏は聴かない」と豪語するファンまで現れた。90年代半ばを境に、ポリーニ自身が完璧への関心を失ったのか、同時代作品の連続演奏会のプロデューサーに回ったり、オペラ指揮に手を染めたりしつつ、より深い世界を究める意欲が強まり、肝心のピアノ演奏に、ほころびが目立つようになった。
ところが、DGのショパン録音に「練習曲集」から一貫して使ってきたドイツ・ミュンヘンのヘルクレスザール(ホール)で2015~16年に収められた最新盤の「後期作品集」には、さらなる驚きが用意されていた!
まず選曲。従来は「練習曲集」「ポロネーズ全集」「夜想曲全集」とジャンルごとに制作してきたが、今回は「舟歌」「幻想ポロネーズ」「マズルカ作品59、63、68の4(遺作)」「夜想曲作品62」「ワルツ作品64」と作曲家の晩年、1845~49年に書かれた曲を異なるジャンルから集め、1つの物語のように構成した。次いで演奏の内容。完璧時代の冷ややかな大理石を思わせる客観性から一転、濃密な詩情を漂わせ、長年の愛着を隠すことなく吐露して慈しみ、時には涙もろさまでみせる。やはり桁外れの音楽家なのだと心底、感心する熟成ぶりだ。(ユニバーサル)
ソル・ガベッタ(チェロ)
サイモン・ラトル(エルガー)、クシシュトフ・ウルバンスキ(マルティヌー)指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ガベッタは1981年、フランス系ロシア人の両親のもとアルゼンチンのコルドバに生まれ、スペインやスイスに留学、現在は欧州を本拠に活躍するコスモポリタンだ。情熱と知性を兼ね備え、雄大なスケールの歌心で過去の作品を現代によみがえらせるうち「当代きっての女性チェロ奏者」と目され、2014年、ベルリン・フィルとの初共演が実現した。
最初は4月20日、バーデンバーデン祝祭劇場。ベルリン・フィルが毎年行っている「イースター音楽祭」の一環で、芸術監督・首席指揮者のラトルとエルガー。1カ月後の5月23、24日には本拠地ベルリンのフィルハーモニーザールで、これがベルリン・フィルへのデビューに当たったポーランドの俊英指揮者ウルバンスキとマルティヌー。英国のエルガーは1919年、チェコのマルティヌーは翌年と20世紀前半に書かれた傑作で、演奏は決して簡単ではない。
英国人のラトルはエルガーを長く得意とし、揺るぎなくチェロ独奏と向き合うのに対し、より先鋭な感覚を持つウルバンスキは時に激しい火花も散らす。両者に臆せず対応、ライブ録音にもかかわらずアルバムに一貫した流れを与えたガベッタの能力は極めて高い。(ソニー)
ジョセフ・リン(協奏曲のヴァイオリン独奏と指揮)、西脇義訓(交響曲の指揮)、デア・リング東京オーケストラ
かつてクラシックの名盤を多く制作したオランダの「フィリップス」レーベルはレコード業界再編の果てにユニバーサルが買収、「デッカ」へと一本化されて消えた。フィリップスの販売権を持っていた日本フォノグラムでヨーロピアン・サウンドの基本を覚えた2人の元社員の西脇義訓(N)がプロデューサー、福井末憲(F)がエンジニアとして独立して興したのが「N&F」レーベルだ。
アマチュアのチェロ奏者でもある西脇はやがて指揮に手を染め、長年の制作経験に基づく独自の楽器配置による録音オーケストラ「デア・リング東京」を立ち上げ、これまで4点の交響曲のCDを発売した。初のモーツァルトに当たる5点目は昨年6月、東京の府中の森芸術劇場ウィーンホールで収録。過去に無伴奏ヴァイオリン曲の録音に起用した台湾系米国人の名手リンをソロに迎え、協奏曲では指揮も委ねた。
2人の指揮者がいるにもかかわらず、2曲のモーツァルトは1つの価値観を共有し、アルバム全体の統一感は強い。独裁型の指揮者が「ご立派な名曲」を堂々と統率する対極で、オーケストラに集まった奏者一人一人の自発性を引き出し、ごく自然なたたずまいで楽曲の美しさを際立たせる。リンが自作したカデンツァ(管弦楽が休み、ソロで奏でる部分)からは、驚くほど東洋的な世界が広がる。中沢新一著「チベットのモーツァルト」ではないが、「2016年の東京のモーツァルト」が間違いなく、鮮やかな録音で刻まれている。(N&F)
(コンテンツ編集部 池田卓夫)
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