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「ぬれ手で粟(あわ)」の不動産開発に怖さを感じ、立ち食いそばを始めた丹道夫氏。友人と別れてダイタンフードを設立し、一大立ち食いそばチェーンへと発展していく礎を築いたのもこの頃だ。じつは、人生最大のピンチもこの直後に訪れたという。病に倒れ、病床で資金繰りをしながら考えたことが「名代 富士そば」の原点。店舗視察の際、従業員には必ず「厳選したお饅頭(まんじゅう)を持って行く」という。

◇   ◇   ◇

そうね、いつが一番ピンチだったかと言えば、「そば清」から「富士そば」へと切り替えたあたりかもしれない。じつは、独立する時に6000万円の借金も一緒に引き受けたんです。それを返すために建売住宅に手を出したものだから、多額の借り入れで資金ショートを起こしそうになった。

妻のおなかは大きいし、年老いた母の面倒もみなくちゃいけないし、で本当に大変でした。独立したてで、焦っていたこともあったんでしょうね。袂(たもと)を分かった友人に負けないように、僕も頑張らなくちゃと思ったんだね。それで無理したものだから、病気になっちゃったんです。B型肝炎と診断され、トイレに行く歩数さえチェックしないといけないくらい、絶対安静を言い渡されました。

資金繰りに苦しんでいましたから、入院していても眠れない。ベッドの上で電卓をたたくくらい、悩んでいた。それなのに、同じ病気で入院しているサラリーマンは横で高いびきをかいて寝ているわけ。

妻に言わせると、彼女はそのころ、「この人に付いていって本当に大丈夫かしら」と思っていたそうです。そりゃそうだよね。私はその時に、絶対に無理はしちゃいかん、と肝に銘じました。二度とこんな苦労はしたくない、と。

そのころ、立ち食いそば以外にもいくつか飲食店を経営していましたが、入院したのをきっかけに、それらはすべて手放しました。これからは立ち食いそば一本に絞ろう、と思ったから。だって、その方が堅実だもの。

みんなに反対されましたよ。銀行さんとか、いろんな人がいろんな話を持ってきました。「土地を買わないか」「ゴルフ会員権を買わないか」と。だけど僕はもう、これで十分だと思った。ここからは脇目も振らず、立ち食いそばだけでいこうと決めた。

出店目標は決めない。ペースはゆっくりでいい

その時に考えたのね。根こそぎもうけようとするから商売がうまくいかないんだ、と。10円もうかるんだったら、僕は7円もらえばいい。その代わり、余裕を持たなくちゃいけない。残り3円は誰か相手にもうけさせる。そうしたら、相手も自分も次のステップを踏めるでしょ。僕はつまり、そういう考え方なの。

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