浄瑠璃三味線奏者、キーン誠己さん 文楽が結ぶ養父
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は浄瑠璃三味線奏者のキーン誠己さんだ。
――2012年に日本文化研究家のドナルド・キーンさんと養子縁組をしました。
「父は米国に住んでいたのですが、11年の東日本大震災後に日本永住を決め、12年3月初めに日本国籍を取得しました。その月の下旬に私と養子縁組をしました。どうしてとよく聞かれましたが、実は浄瑠璃が結ぶ縁でした」
――というと。
「実家は新潟市(旧巻町)にある造り酒屋ですが、大学は東京に出ました。当時は大学紛争まっただ中でろくに授業もない。先に上京していた兄に連れられてアングラ劇場などに出入りするうち文楽と巡り合ったのです。筋書きの面白さと迫力に引き込まれ、すぐ弟子入り。1972年からは人形浄瑠璃文楽座に所属し三味線を弾き始めました」
「実の父はというと、造り酒屋の経営は母に任せっきり。盆栽が好きな趣味人でした。私が次男のせいもあって家業を継げとも言わない。それに甘えて25年間、文楽座で三味線を弾いていました。ところが持病が悪化し97年に廃業を決意。当時は、もう芸事とは一切縁を切るぐらいの覚悟で故郷に戻ったのですが」
――それで、家業を手伝うことに。
「96年になくなった父の後を兄が継いでいて、私は総務や経理の担当です。そうこうするうち地元の人から浄瑠璃を教えてほしいと声が掛かり、小さな演奏会も開くようになりました。かつての文楽の同僚が佐渡に住んでいて、交流するうちに地方に残る素朴な古浄瑠璃への興味が膨らんでいきました」
――その延長上にキーンさんとの出会いもあった。
「2006年11月です。キーン先生の対談が東京であると聞き、アポイント無しで楽屋を訪ねました。私からすれば、古典芸能に詳しい大先生。しかも全くの初対面です。無謀にも指導をお願いすると、大英博物館に越後国柏崎を舞台にした古浄瑠璃の床本が残っていることを教えてもらいました。早速、新潟の仲間と浄瑠璃の一座を旗揚げし、09年に300年ぶりの復活公演を果たしました。ここから交流が深まりました」
――新しい親子関係は。
「養子縁組の前から、身の回りの世話や秘書業務をしていたので、違和感はありません。毎日3度の食事を私が作り、夕方には一緒に買い物に出かけます。地元の商店街では人気者で、父もお店の人との会話を楽しんでいます。独身を通してきたせいか意外に寂しがり屋で、ずっと家庭的な生活に憧れていたようです」
「6月にロンドンでの公演を控えているので、今は自宅で稽古をしてますが、父に聞くとさすがに博識で何でも教えてくれます。私にとってはいまだに大先生です。血縁関係はなくても、それ以上の存在です」
[日本経済新聞夕刊2017年2月14日付]
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