TBSの堀井美香さん 子の発熱で遅刻、上司の叱責に涙
堀井美香 わたしの足あと(2)
1995年にTBSに入社し、今年21年目になるアナウンサーの堀井美香さん。現在も『THE 世界遺産』のナレーションやラジオを中心に第一線でご活躍中です。そんな堀井さんは、大学生と高校生のママでもあります。連載の第2回は、長男の誕生や地域を巻き込んでの子育てや子どもの病気などについて。堀井さんがママ友の一言で気付いた「あること」とは、いったいどんなことでしょうか。
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2000年の7月に、長男を出産しました。第二子の妊娠を公表したときの周りの反応は、正直なところ「また?」という感じだったと思います。でも、私も性根が据わってきましたし、夫にも「でかしたじゃん!」と言われたので(笑)、開き直って妊娠生活を存分に楽しみました。
だから、その分、育休も短かったんです。母親としての自信も少し出てきたこともありましたし、妊娠中におなかの子をたくさん愛したから、生まれてからはずっと一緒にいてあげられなくても大丈夫かなって。出産後半年で職場に戻りました。
鍵を忘れた長男を、商店街の八百屋さんが預かってくれた
周囲に親も親戚もいない状況で、2人の子育てと仕事との両立の日々が始まりました。
ただ、私が住む地域は、郊外ということもあってか、子どもの手が離れた世代の方が多かったんです。だから、子連れで歩いていると知らない人からもよく声をかけてもらえました。長男の妊娠中は上の子のベビーカーを押しながら商店街に行って、よく世間話をしていましたね。「何かあったら助けてあげるから」と言ってもらえることも多くて。
実際、長男が小学生になったときに、鍵を忘れて家に帰ってしまったことがあったんですよ。なんと、家に入れなかった長男は商店街の八百屋さんに向かったんです!八百屋さんも、「うちで預かるよ」と、私が帰るまで店先で待たせてくれて。地域の方々には本当に助けられました。
子育てを始めて何年か経った後、住んでいる自治体にファミリーサポートができて、何人ものサポート会員の方にお世話になりました。特に、近くに住んでいらしたサポート会員の方には、長女も長男も、それぞれ中学生くらいになるまで、本当の孫のように育ててもらいました。
長女は大きくなった今も「ファミサポさんちのわかめスープ飲みたいなあ」なんて言っています。子どもにとって、安心して過ごせる場所があるってとっても大事ですよね。
長女の大学合格の報告に行ったり、修学旅行のお土産を届けに行ったりと、ファミサポさんとのお付き合いは今でも続いています。
シッターさんの昼寝を目撃
ベビーシッターを頼むことも多かったです。今のようにネットで探せないので、電話帳で探して直接お会いしてという、時間のかかる作業だったんですが、仕事復帰するからには万全な体制で臨まないといけないと思って。私の仕事が、「子どもがいるからこの時間で上がります」という内容でなかったのも大きかったです。
子どもが3歳まで使える10時から16時という時短制度はありましたが、ゲストの方のお話が続いていたら「お先に~」なんて言えませんから。夜中の仕事もあったので、そんなときには泊まりで来られるシッターさんをお願いしていました。
そういえば、シッターさんにまつわる衝撃的な思い出があるんですよ。
まだ、長男が生まれる前、当時2歳になるかならないかの長女をシッターさんに預けて仕事に行ったときのこと。夕方までかかるはずだった収録がたまたま早く終わったので、予定より数時間早く家に帰ったんです。鍵を開けて中に入ったら、長女がテレビにかじりついていて、シッターさんがソファでごろんと横になって昼寝しているのを見つけてしまって……。
何も言わずにそっと家を出て、ピンポンを押してから大きな音を立てて中に入ったら、何事もなかったかのように、長女を抱っこして「お帰りなさい」って言われて。その日に限ってうっかり寝てしまっただけかもしれないけれど、こういうふうに目を離されてしまうこともあるのか、と考えさせられました。
それまでは幸運なことに、プロ意識の高い素晴らしいシッターさんばかりが来てくださっていたので、誰かに子どもを預けるということを少し軽く考えていたのかもしれません。どんなふうに子どもの相手をしてほしいかなど、こちらの意思を伝える重要性や、預ける側にも責任があるということをそのときに学びました。
帰りの電車の中でこらえていた涙がこぼれた
生放送は穴が開けられませんし、子どもが体調を崩したからといって休めないことも多かったですね。
あるとき、絶対に休めないという重要な仕事が入っているタイミングで、長男が熱を出したことがあったんです。夫は出張で不在。病児保育に連絡しても「急性期だから預かれない」と。電話帳で何人もの方にあたって、車で1時間くらい離れたところに住んでいるベビーシッターさんがようやく見つかったんです。
長男を送って戻って、なんとか出社したものの、仕事には10分の遅刻。スタジオの戸を開けたら、その日同席予定だった方が全員そろっていらっしゃるという状況。私の顔を見た瞬間、当時の上司が立ち上がって「おまえ、何やってんだ!」と。さらに、「それでよく、母親やってられるな!」と怒鳴られてしまって……。
子どもが病気で、なんて説明しても言い訳にしか聞こえませんし、遅刻したのは事実。ひたすら頭を下げて謝りながら泣きそうになりましたが、たくさんの人が見ている前なので泣くこともできませんでした。帰りの電車の中で一人になったとき、こらえていた涙が思わずこぼれました。自分の泣く姿が地下鉄の窓に鏡のように映って、それを見てさらに情けなくなって泣けてしまって……。
でも、電車を降りたら気持ちをさっと切り替えて、また1時間かけて熱を出した子どもを迎えに行かないといけません。自分が不甲斐ないのは分かっているのですが、あれは本当に切なかったですね。きっと、仕事しながら子育てしている人は、こういう思いの連続なのではないでしょうか。
ママ友の一言で気付いたこと
当時は時短勤務中でもあったし、育児を理由に断った仕事もあったので、会社への負い目があったんですよね。「ちゃんと仕事はやってますから!」なんて胸を張れない自分がいました。
断った仕事のうちの一つが、夕方のニュース番組です。メインキャスターの方々の脇でニュースを読むというポジションでしたが、「子どもと一緒に夕飯が食べられなくなる」とお断りしてしまいました。日曜日の昼間のラジオ番組に誘われたときも「リトルリーグに入ったばかりの長男がいて、日曜日はグラウンドに行かなくちゃいけないので」と辞退。どれもアナウンサーとして喉から手が出るほど欲しい仕事でしたが、「子どものため」と思うと引き受けることができなくて……。会社員としては劣等生だったと思います。
ところが、この「子どものため」という考え方、もしかしたら違っていたんじゃないかと気付いた瞬間があったんです。
長男が中学生のとき、仲のいいママ友とランチしていたら、彼女が突然「私が仕事ばかりしていてちゃんと子育てしていないことを、誰かにずっと責められているような気がしていた」と話をし始めました。その友人はバリバリ働いているキャリアママで、息子さんもすごく優秀な子なんですよ。
話を聞いていたら「でも、結局誰も私のことを責めていなかったんだよね。自分で自分のことを責めていただけだって、ようやく気付いた」って。
私は彼女とは正反対で、子どもには私が必要、子どものために仕事をセーブしたいと思っていたんですが、それはそれで自己満足だったなってそのときに気付いて。子どものためじゃなく、自分のためだったんですよね。私自身が子どもと一緒に過ごしたかったんです。
「親歴も長くなってきたけど、私達もまだまだだね」「ようやく気付いたけど、子ども達ももう大きくなっちゃったから今さらどうしようもないね」って2人で笑ってしまいました。
1972年生まれ、秋田県出身。1995年にTBSテレビにアナウンサーとして入社。1996年結婚、1997年に長女、2000年に長男を出産。これまでに担当した主なテレビ番組は『王様のブランチ』『とんねるずのカバチ』など。現在の主な出演番組は『TBSフラッシュニュース』『THE 世界遺産(ナレーション)』、ラジオでは『久米宏 ラジオなんですけど』『ジェーン・スー 生活は踊る(日替わりパートナー)』を担当
(ライター 樋口可奈子)
[日経DUAL 2017年1月12日付記事を再構成]
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