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国内で1日に刊行される新刊書籍は約300冊にのぼる。書籍の洪水の中で、「読む価値がある本」は何か。書籍づくりの第一線に立つ日本経済新聞出版社の若手編集者が、同世代の20代リーダーに今、読んでほしい自社刊行本の「イチオシ」を紹介するコラム「若手リーダーに贈る教科書」。今回の書籍は『きもの文化と日本』。本書は日本人がきものを着なくなった理由や、若者を中心に復活しつつある背景をさまざまな観点から探った。伝統産業が復活を探り奮闘する姿を対談形式で楽しく知ることができる。

◇   ◇   ◇

対談するのは経済学者の伊藤元重さんと、今年で創業100周年を迎える呉服専門店やまと(東京・渋谷)の会長、矢嶋孝敏さんです。

伊藤元重さん(右)と矢嶋孝敏さん

伊藤元重さん(右)と矢嶋孝敏さん

伊藤さんは東京大学名誉教授で、学習院大学国際社会科学部教授。1951年静岡県生まれ。74年に東大経済学部を卒業し、78年に米ロチェスター大学で経済学博士号を取得。『吉野家の経済学』(共著)は累計6万部を突破。ビジネスの現場を取材し、生きた経済を理論的な観点から鋭く解き明かします。

矢嶋さんはやまと会長。1950年東京都生まれ。72年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、88年、呉服専門店「やまと」の社長に就任、2010年から現職。著書に『きものの森 作ること売ること着ることの経営論』(2015年、繊研新聞社)などがあります。

「制服化」した成人式の振り袖

普段からきものを着こなしている方はそう多くはないように思えます。実際、きものの市場自体は、40年前のピーク時に2兆円規模といわれていたのが、現在では2800億円ほどです。しかし、市場が縮小している中で、非常に面白い動きが2つあります。まず、成人式で振り袖を着る比率がかつてないほどに高いこと。実はいま女子の98%は成人式で振り袖を着ているそうです。次に、花火大会などでゆかたを着る若者の比率が高まっていることです。

振り袖の増加の現象を、伊藤さんと矢嶋さんは「成人式といえば振り袖」と記号化されていて、いわば、成人式の制服になっていると指摘します。

伊藤 行動経済学では、たとえば「あなたはどうして省エネ・節電するんですか?」という質問で、選択肢を4つ用意するんですよ。1番は省エネすると光熱費が下がって得だと。経済的動機ですね。2番は省エネするのが道徳的に正しいと。モラル的動機。3番は省エネすれば地球温暖化を防げると。社会的動機。では4番は?
矢嶋 みんながやってるから(笑)。
伊藤 正解(笑)。で、日本の場合、4番の「みんながやってるから」という回答が圧倒的に多いんです。
矢嶋 振り袖もゆかたもそうだと思う。あれは一種の制服なんですよ。
(第1章 ゆかたブームにヒントがある 16ページ)

「チャーシューの気持ち」がわかった振り袖体験

振り袖はもともと未婚の女性がハレの日に着るものでした。結婚相手を探すことを考えても「派手に着飾ったほうがよい」という発想から、小物まで合わせると20~25点のアイテムが必要になります。結果として、1人で着るのは不可能で、プロに着付けをお願いする必要があります。着付けでは、着崩れを防ぐために、紐(ひも)を5本も6本も使って体を締め付けます。矢嶋さんは、「『チャーシューの気持ちが、よくわかった』といったお客様がいた」と本書で述べています。

結果として、振り袖を着ることは食事どころか飲み物も入らない苦しい体験になってしまうので、成人式の後になかなか振り袖を着なくなる原因にもなってしまっています。それでは、ゆかたはどうなのでしょうか。

伊藤 ゆかたって、やっぱり江戸時代ぐらいから?
矢嶋 もともとは湯帷子(ゆかたびら)といって、平安時代に貴族たちが、これを着たままお風呂に入っていた。当時は蒸し風呂だけど。湯上がりに汗取りのために着ることもあったらしい。
伊藤 ユカタビラがユカタに変化したわけですか。
矢嶋 ルーツはね。江戸時代になると、都市では庶民でも風呂屋に通うようになったでしょう。当時は混浴だから、良からぬことが起きないよう、衣を着て入った。だから「浴衣」という漢字があてられた。
(第1章 ゆかたブームにヒントがある 34ページ)

ゆかたも同様に「花火大会といえばゆかた」と記号化され、若者から広く支持を集めるようになりました。ゆかたはきものに比べると価格が安いということも後押しとなりました。さらに、みんながゆかたを着るようになると、違いを打ち出す必要が出てきます。そこで、少し高いゆかたに買い替えたり、羽織を買ったりします。結果として、業界全体の売上高は2011年を100とすると、15年には104になりました。やまとでは144にまでなっています。反物から仕立てる「マイゆかた」で、1万9800円ぐらいの価格帯に力を入れていて、それを買った顧客は翌年以降、さらに高額なゆかたを買ってくれるからです。

大衆文化でないと、生き残れない

伊藤 きものに変化が見られなくなったのは、それだけ伝統のマーケットが大きかったということなんでしょうね。
矢嶋 大きかった。「伝統なるもの」だけで食っていけるほど大きかった。だけど、変革がまったくないがために、きものは特殊文化になっちゃった。生きた大衆文化じゃなくなった。きものに限らず、お茶やお花もそうだけど、これ以上、特殊化していったら、どれも残らないと思います。
(第3章 ルールは本当に「伝統」なのか 99ページ)

伝統産業は「大衆文化でないと、生き残れない」と矢嶋さんは述べます。理由は、ただ見るものになってしまい、自分が参加しなくなるからです。ピアノも水泳も、自分で気軽にできるからこそ、裾野が広がって関連するマーケットも広がっていきます。「遺産では、死んだ文化だからね。和食もそうですが、生きた文化のまま、産業化することで生き残る道を探さないと」と語ります。

「きもの」という衰退しつつあるかのように見える伝統産業が、歴史も大切にしながら現代に合わせて変わっていく姿を本書では描いています。人工知能(AI)やあらゆるものがネットにつながる「IoT」などのテクノロジーの台頭で、社会が大きく変わる中、参考にしたい1冊です。

◆編集者からひとこと 田口恒雄 野沢靖宏
 経済学者の伊藤教授と、きもの業界に旋風を巻き起こす矢嶋会長による異色対談は、お2人の長い親交から実現しました。企画の打ち合わせで、初めて矢嶋会長にお会いしたときは、その格好いい和装の着こなしに驚き、「面白い本ができるかも」と直感しました。
 対談では、伊藤教授が歴史・文化はもとより、専門の経済・ビジネスなど、あらゆる視点から投げかける質問に対し、矢嶋会長がその豊富な知識を背景に丁寧に説明する姿が印象的で、「いやあ、きものって、やはり深い」と興味が尽きませんでした。
 本を編集して感じたのは、伝統も大切だけれど、きものもファッションとして楽しめばよい、難しいルールは変えてよいという考え方の素晴らしさ。もちろん日本文化を理解できるという意味でも非常に面白い本ですが、新しい発想でチャレンジをすれば、どんな業界にも活路が開ける、ということがユニークな事例から学べる本でもあります。

(雨宮百子)

「若手リーダーに贈る教科書」は原則隔週土曜日に掲載します。

きもの文化と日本 (日経プレミアシリーズ)

著者 : 矢嶋 孝敏, 伊藤 元重
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 940円 (税込み)

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