「この子は芸能界変える」 オスカーのスター発掘法オスカープロモーション副社長 鈴木誠司氏(上)

「一目見ただけで、10人中10人が『この子はいける』と口をそろえる素材もいます。しかし、独特のカンが働くケースもある。上戸彩がそうでした。当時、小学生だった上戸が国民的美少女コンテストに応募してきたとき、社長の古賀誠一は『この子は芸能界を変えるよ』と言い切りました。彼女はチャーミングではあるが、美人系ではありません。私はあの当時の上戸を見て、明るくはつらつな感じはしても、そこまでは思えなかった。私は見抜けなかったけれど、古賀はわかったのでしょうね」

甲子園、日大ゴルフ部経て私にプロは無理

――鈴木副社長は、芸能界の仕事に関わって43年ということですが、なぜこの世界に入ったのでしょうか。

「私はもともと野球少年で、日本大学第三高校の野球部でした。春の選抜高校野球大会で優勝、準優勝した43回(1971年)、44回(72年)のときのメンバーなのです。プロ野球選手になると思って生きてきたけれど、甲子園にはいったがベンチにも入れなかった。都大会や関東大会では感じなかったのですが、甲子園を経験して自分にプロは無理だ、と痛感したのです。きっぱり野球をやめました」

小野ヤスシさんの付き人として芸能界に入った

「日大に進学し、『将来役に立つから』という父親のすすめで今度はゴルフ部に入りました。ところが、日大のゴルフ部はプロ養成所みたいな場所だったのです。同期にはすでにトップアマとして活躍していた藤木三郎が、1期下には日本プロゴルフ協会の会長になった倉本昌弘がいた。当時、全日本リーグで13連覇する強さでした。1年のときは、藤木を見てこんなふうになろう、と思えたけれど、倉本が入ってきたときに『こんな連中がプロになるのか、とても無理だ』と思った。同期の半分以上はプロになりましたが」

「何もやれることがない、とフラフラしていた。目立つのが好きだったので、芸能のほうに興味を持つようになりました。そんなときにたまたま友達と飲みにいった銀座で、小野ヤスシさんの公開録音をしていたのです。『音楽を聞きながら酒が飲めるなんていいな』と、それから毎週木曜日の公開録音に通うようになりました。そこで、小野さんと顔見知りになったのです」

巨泉さんに紹介してやると言われたが

「ゴルフじゃメシも食えない、就職もどうしていいかわからない、と小野さんに話したら、愛川欽也さんでも大橋巨泉さんでも誰でも紹介してやる、といわれたのです。私は小野さんのしゃべりが大好きだったから、小野さんの付き人にしてくれと頼み、弟子入りのようなことを始めました。当時、小野さんがオスカーに所属していたので、古賀に出会ったわけです」

今こそ始める学び特集
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら
注目記事
今こそ始める学び特集
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら