『地雷を踏んだらサヨウナラ』の地、カンボジアの今
旅する写真家のひとり言(1) 渋谷敦志
世界各地を飛び歩く写真家の渋谷敦志氏。ハードな取材現場の周辺で、ふと目に留まった風景や人々、心に浮かんだ思いなどを写真とともに伝えていただきます。1回目の旅先は、写真家を志すきっかけとなった場所、カンボジアです。
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かつて一ノ瀬泰造という戦場写真家がいたのをご存じだろうか。
「アンコールワットが撮れたら死んでもいい」
「うまく撮れたら、東京まで持っていきます。もし、うまく地雷を踏んだら"サヨウナラ"」
戦場写真家・一ノ瀬泰造が命を懸けたカンボジアへ
そんな荒々しくも儚(はかな)い言葉の数々を残して、のちに大虐殺を主導するポル・ポト派が支配していたアンコールワットに単独で乗り込み、26歳の若さで命を絶たれた写真家だ。一ノ瀬の日記や手紙をまとめた『地雷を踏んだらサヨウナラ』という一冊の本が、17歳の無気力な若者だったぼくを写真に駆り立て、外の世界に目を見開かせた。だからカンボジアは、写真家になったら、いつか必ず訪れたい場所だった。
初めてカンボジアを訪れる機会がやってきたのは2003年のこと。アジア各国で社会的に恵まれない子どもたちを支援する団体「国境なき子どもたち(KnK)」(http://knk.or.jp/)からの依頼だった。
2003年当時の首都プノンペンで、20年以上続いた戦争の痕跡をうかがい知ることができる場所は、虐殺博物館とキリングフィールドだけとなっていた。大通りには高層ビルがどんどん建てられ、観光客が増えて活気に満ち、市場や路地には庶民の生活が戻っていた。「一ノ瀬が生きていたら撮りたかったであろう平和がここにある」。そう思いをはせながら、街の喧騒(けんそう)を撮り歩いた。
「平和な時代の戦場」を生きる子どもたち
急速に復興を果たす一方で、生まれ変わったカンボジアは新しい矛盾を抱えこんでいた。「貧乏」から「貧困」に変化したとでも言おうか。みなが貧しくて支えあった社会から、持つものと持たざるものの格差が大きい社会に変容するまさに途上にあった。
「戦争の時の方がよかった。前は貧しかったが、お金がなくても暮らしていけた。今は豊かになったが、お金がないと暮らしていけない」。タイとの国境の町でわが子に衣服の密輸をさせて商売をしていた母親の言葉が忘れられない。
戦争がない状態が平和とは限らない。ある種の平和な時代の戦場とでもいうべきものを、社会の底辺を生きる子どもたちを取材して伝えようと考えた。
第二の都市バッタンバンに向かった。フランス植民地時代に建てられたコロニアル建築が残る、のどかで美しい町だ。カンボジア一のコメどころでもあり、美食の町としても知られている。旅の一番の楽しみはローカルの市場で食べる屋台メシ。「クィティウ」というカンボジア版ラーメン。米麺を豚骨のスープに入れ、ポークやチキンなどをトッピングする。朝これを食べて撮影を始めるのを日課としていた。
この町にKnKが運営する自立支援施設「若者の家」がある。KnKはそこで16年以上、ストリートチルドレンや人身売買の被害を受けた子どもたちのために教育支援や職業訓練を行っている。子どもの貧困に十分に対処する制度がないカンボジアで、行き場のない子どもたちの寄る辺だった。
町の路地裏や夜の繁華街を歩き回り、ストリートチルドレンや人身売買の被害にあった少年少女を探し出し、写真を撮って話を聞いたのだが、子どもたちを取り巻く環境は想像以上に過酷だった。家庭崩壊、ホームレス、児童労働、人身売買、性的暴力、薬物依存、子ども買春……。生きるためのぎりぎりの戦いを目の当たりにし、この国の豊かさや発展の意味を自問せずにはいられなかった。社会の片隅で見えない存在にさせられている子どもたちを可視化して伝えなければと思う一方、写真では彼らの空腹を満たすことも心を温めることもできないのだなとジレンマに陥った。
飛び切りの笑顔からもらった気づき
そんな悶々(もんもん)とした気持ちを抱えていたある日、撮影に協力してくれたお礼に子どもたちを町の写真スタジオに招待することになった。おいしい食べ物でもなく、おしゃれな洋服でもなく、スタジオで撮った写真を友だちと共有したい、それが子どもたちの要望だったからだが、そこで思いがけず心揺さぶられる経験をすることになった。
バッタンバンの町の真ん中を流れるサンカエ川沿いにある、日本の町のどこにでもあるような写真館。ストロボの閃光(せんこう)を受けながら、スタジオカメラマンの声に乗せられて、モデルになったかのようなノリでポーズを作る子どもたちを側で見ていたぼくは、彼らのあまりに楽しそうな様子にショックを受けた。ぼくには微塵(みじん)も見せなかった飛び切りの笑顔がどんどん出てくるからだ。いてもたってもいられなくなって、思わず申し出た。「ぼくに撮らせてくれ!」
「こうありたい」「こう見てほしい」という意思を、どの子どもたちも当然持っている。その気持ちを想像せずに、どこかで見たような「貧困のイメージ」を子どもに押し付けて撮影していた自分が恥ずかしくなった。想像力もコミュニケーションも欠けた大人のこういう愚鈍さが、子どもたちを閉塞した世界に追いつめているのではないだろうか。そんな学びを、ぼくはカンボジアの子どもたちの笑顔からもらった。変わらなければいけないのは子どもたちではなく、こちら側だった。
昨年、13年前にスタジオで撮影した子どものひとり、ロウ君に再会した。苦学の末、アンコールワットのドイツ語のガイドになっていた。結婚したばかりで妻は妊娠中だった。「今は自分で自分のことを決めることができるのが幸せだ」と語るロウ君から、選択できないことが貧困の本質なのだと教えられた気がした。
写真を撮ることで、子どもたちを見つめる心の角度が変わる。心の角度が変われば、人と人との関係が変わる。関係が変われば……。その先に見えてくる未来を思い描くことが、どうやらこの旅とこれから続く旅の大きなテーマになりそうだ。
写真家。1975年大阪府生まれ。立命館大学在学中に1年間、ブラジル・サンパウロの法律事務所で働きながら写真を本格的に撮り始める。2002年、London College of Printing(現London College of Communication, University of the Arts London)卒業。著書に『回帰するブラジル』(瀬戸内人)、『希望のダンス――エイズで親をなくしたウガンダの子どもたち』(学研教育出版)、共著に『ファインダー越しの3.11』(原書房)がある。
・個人サイト http://www.shibuyaatsushi.com/
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