カルメンは不滅 オペラ界の地下アイドル?
N響、新国立劇場、藤原歌劇団…… 切れ目なく上演
フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838~75年)が死の3カ月前に放った大ヒットオペラ、「カルメン」の人気は衰えを知らない。妖艶で歌も踊りも達者だが、劇場ではなく怪しげな酒場を根城とする盗賊団の花形、というヒロインを今の日本に置き換えれば「メディアの露出を避け、ライブやイベントを中心に活躍する『地下アイドル』」のような存在だろうか。人口の1%に満たないとされるクラシック音楽の聴衆の、さらに何割かしかいないオペラファン限定のアイドルでありながら時々、映画やポップスの世界にちらりと姿を現す。ミステリアスな女性である。
昭和音楽大学オペラ研究所が毎年発行する「日本のオペラ年鑑」の2015年版(最新版)によると、同年に「日本で上演された海外のオペラ作品」のうち「カルメン」の50公演はモーツァルトの「魔笛」の55公演、ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」の52公演に続く第3位。日本を舞台にしたプッチーニの「蝶々夫人」の19公演を引き離した。「日本で上演された海外の作曲家」のランキングでもビゼーはモーツァルト、ヴェルディ、プッチーニに次ぐ第4位に入った。上位3人が複数のオペラで票を伸ばしたのに対し、ビゼーは「カルメン」1作でこの地位だから、人気の高さがわかる。
現在進行中の2016年9月~17年8月の東京の音楽シーズン。「カルメン」は一段と前面に躍り出た。16年12月9、11日にはNHK交響楽団が創立90周年特別企画の一環として、名誉音楽監督シャルル・デュトワの指揮による全曲の演奏会形式上演に挑んだ。舞台上演のオーケストラピットで演奏した機会を除き、定期演奏会での「カルメン」全曲はヨーゼフ・ローゼンシュトック、高田信一が交互に指揮して以来66年ぶりだった。
題名役は米国のメゾソプラノ、ケイト・アルドリッチが務めた。センタースリットで深紅のセクシードレスに身を包み、往年のB級ハリウッド映画のバンプ(妖婦)女優を思い出させるしぐさにもかかわらず、声楽的には現代風のクールな感触を貫くギャップが面白かった。だが上演全体の主役は間違いなく、デュトワとN響の鉄板コンビである。暗いピットの底から華やかなステージへとオーケストラが上がったとたん、次から次に名旋律をつむぎ、絢爛(けんらん)豪華なフランス音楽の香気をふんだんに放つビゼーの管弦楽法が全貌を現した。アリアの後の拍手やブラボーにも反応せず「俺の音楽を聴け!」とばかり、グイグイ振り進めるマエストロ(巨匠)の気迫、N響の傑出した演奏能力に圧倒されるばかりだった。
年明けの1月は国内唯一の常設オペラハウス、新国立劇場(東京・渋谷区)が07年の新制作初演以来3~4年に1度のペースで再演してきた鵜山仁演出の舞台を19~31日の間に5回、上演した。題名役にロシアのエレーナ・マクシモワ(メゾソプラノ)、ドン・ホセにイタリアのマッシモ・ジョルダーノ(テノール)、エスカミーリョにハンガリーのガボール・ブレッツ(バリトン)と主役級3人をゲスト歌手で固め、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場はじめ世界のオペラハウスで常連のカナダ人マエストロ、イヴ・アベルが東京交響楽団を指揮した。
鵜山演出は元からあまりソロ歌手、合唱団を動かさない静的なもので歌合戦、歌謡ショーに近いビジュアルだが、それにも増して主役3人の演技力が現代の世界水準を大きく下回る。基本は仁王立ち、アリアでは真正面を向いて盛大に両手を広げる。半面、声はそろって美しく声量も存分にあり、互いに一歩も引かない。めくるめく巨声の競い合いを指揮があおりにあおり、熱狂的な幕切れへとなだれ込む。「昔はこういう上演が普通だった」と割り切れば、ステレオタイプのオペラの興奮を久々に満喫できる。その中でホセのいいなずけ、ミカエラの複雑な性格をきっちり解釈した演技をみせ声の芸術の美感も保った日本人ソプラノ、砂川涼子の健闘は一服の清涼剤といえた。
2月には藤原歌劇団が岩田達宗(たつじ)の新演出を3~5日の3回、東京文化会館で上演する。話題は何といっても「柴田南雄の音楽」で昨年の文化庁芸術祭大賞を授かった気鋭の指揮者、山田和樹が正指揮者を務める日本フィルハーモニー交響楽団とともに管弦楽を担うこと。藤原の公演チラシも山田が「劇場のピットに入り、オペラを指揮するのは初めて」とうたっている。日本フィルはふだんオペラのピットに入らないシンフォニーオーケストラだが、日本のフランス歌劇上演史に2度、大きな足跡をしるしている。創立2年後の1958年、フランス政府文化使節として初めて日本を訪れたジャン・フルネの指揮でドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を日本初演、さらに61年には国立パリ・オペラ座初の日本ツアーのピットに入り(東京公演のみ。大阪公演は大阪フィルハーモニー交響楽団)、ロベルト・ベンツィの指揮で「カルメン」全曲を演奏した。
山田も「日本のオペラ史で今も語り草になる、『日本のオーケストラがそこまでフランスの音を出せるのか』という歴史的意味合いのある公演を日本フィルがなし遂げた」との原点を見据えつつ、21世紀の「カルメン」像を提示する構え。題名役にはセルビア人のミリヤーナ・ニコリッチ、ポーランド人のゴーシャ・コヴァリンスカと2人の東欧出身のメゾソプラノ、エスカミーリョの一人には中国人テノールの王立夫(ワン・リーフ)を招き、藤原歌劇団の若い世代の日本人歌手が共演する。かつて東京・練馬区の地域オペラでカルメン、ホセ、エスカミーリョの3人の愛憎劇だけに焦点を絞り、黒ずくめの衣装と鉄パイプで画期的な「カルメン」を生み出した岩田が十数年を経て、どのような視覚を提示するのかも興味深い。
以後も2月23日に洗足学園音楽大学オペラ公演(神奈川県川崎市の洗足学園前田ホール)、3月19~20日に立川市民オペラ(東京都立川市のたましんRISURUホール)、3月下旬に京都(20、22日にロームシアター京都メインホール)、東京(26日に東京文化会館大ホール)、名古屋(29日に愛知県芸術劇場大ホール)を回る小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト……と、「カルメン」が続く。
オペラとしての「カルメン」はスペインを舞台とし、フランス語で歌われるが、題名役はロマ族の女性であり、折に触れ「リベルテ(自由)!」と叫ぶ越境者、あるいは漂泊者。特定の国籍はない。歴代のカルメン歌いにもフランス人は少なく、全曲上演に要求されるスタミナの点でロシア・東欧系の巨大な声や、合理的な発声法を身につけた米国人歌手の活躍が目立つ。ヒロインの人間像は「正調の悪女」「すべてを超越した女」「自立した女」のほぼ3系統に分類されるが、ウーマンリブやフェミニズムの洗礼を受けた1970年代以降、自立や超越が世界の趨勢(すうせい)となってきた。
「日本上陸」はおそらく、1885年(明治18年)。他の「異人さん」と同じく横浜の港に降り立った旅回りの歌劇団が、居留地の外国人向けに抜粋を上演したのが最初らしい。日本人による初演は1922年(大正11年)。「浅草オペラ」全盛期の浅草金竜館で、根岸大歌劇団が清水静子のカルメン、田谷力三のホセにより実現した。ただ一番有名なアリア、「ハバネラ」だけは14年(大正3年)に柳兼子が帝国劇場で初演していた。
日本人との付き合いも130年あまりに及ぶ過程で、カルメンは大衆文化の中にも潜入してきた。日本映画史上初の「総天然色(オールカラー)映画」だった木下恵介監督の51年作品、「カルメン故郷に帰る」で高峰秀子が演じた「リリィ・カルメン」はストリッパー。同年に鎌倉で生まれ、69年に寺山修司作詞のヒット曲「時には母のない子のように」を放ったカルメン・マキは、歌謡曲からロックへと展開していく。77年には作詞の阿久悠、作曲の都倉俊一の黄金コンビが「カルメン77」を書き、人気絶頂だった女性2人組のアイドルユニット、ピンクレディーの歌でミリオンセラーを記録した。
本来のオペラでも第2次世界大戦後、二期会の設立メンバーの一人だった川崎静子から成田絵智子、伊原直子……と、カルメン歌いのメゾソプラノの系譜が長く存在していた。最近は少しおとなしかったが、上演ラッシュの勢いをかってすぐにまた、新たな女性像を身にまとい、次代の和製カルメンが現れるだろう。過去のオペラ上演史だけを振り返っても、すでに十分深く、日本社会の一角に根を下ろしたといえるキャラクターだ。
(コンテンツ編集部 池田卓夫)
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