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私の履歴書復刻版

実力会長・磯田氏と対立 住銀を飛び出す 元アサヒビール社長 樋口広太郎(3)

2017/2/2

「スーパードライ」の発売でアサヒビールを業界トップに押し上げた名物経営者、樋口広太郎氏(ひぐち・ひろたろう、1926-2012)の「私の履歴書復刻版」。第3回はバンカーだった樋口氏がアサヒビールに行くいきさつを語ります。

住銀を飛び出す 磯田氏への直言裏目 安定企業をけりアサヒに

住友銀行の副頭取からアサヒビールへの転出が決まった時、父は病床についていおり、すでに病状はかなり悪くなっていました。

「今度、アサヒビールに行くことになったよ」と話したら、「住友銀行に長年お世話になった分を、アサヒビールでお返ししなければいけないぞ」と、昔かたぎの律儀な性格をそのままに、私を励ましてくれました。

父が亡くなったのは、それから間もない1986年2月5日。京都の病院に夜遅く駆けつけると、もうすでに父の意識は怪しくなりかけていました。しばらく添い寝をすると、静かに息を引き取りました。幼いころから私に言い続けてきた「他人様には迷惑をかけるなよ」というのが、父の最後の言葉でした。

副頭取時代、磯田一郎頭取(左)と

当時、住友銀行の実力者は、名実ともに会長の磯田一郎さんでした。副頭取時代に難しい安宅産業問題を先頭に立って処理したことで一躍有名になった人物です。

私は何でもぽんぽん言う性格ですし、銀行での36年間の経験では、意見をどんどん具申するのはいいことだ、という行風でしたからね。自由闊達に議論して、いったん決まったことについては一丸となって取り組むというのが、住友銀行の本来のあり方だったのです。だから私は磯田さんに対しても、まずいと思うことがあれば遠慮せず、はっきり「ノー」と言いました。まさか、それが銀行を出る引き金になろうとは、思いもよりませんでした。

まず、磯田さんは、関西相互銀行との合併計画を強引に進めようとされました。78年に発表したこの合併計画に、私は役員の中で真っ先に「絶対にやってはいけない」と反対したのです。まず関西相銀は住友銀行の系列でしたが、向こう側の一部が住銀との合併を喜んでいないという情報が私の耳に届きました。それで私は、これはまずいと思ったんです。

私は、過去に合併を発表しながら失敗に終わったケースについて、15例ほど新聞の切り抜きを持って大阪に乗り込み、関西相銀との合併を担当していた後の頭取、小松康さんに「いま断念すれば、うちは恥をかかずにすみます」と申し上げました。

磯田さんは何が何でも合併をやるつもりでしたから、反対する私をだいぶうるさく思われたようです。結局、関西相銀との合併計画は、相手側の組合や取引先の反対運動が激しくなり、流れてしまいました。

磯田さんとの関係を決定的なものにしたのは、イトマンへのある融資をめぐる意見の食い違いでした。イトマンが手がける石油の取引に大口の融資をするという話が出てきた時、私は担当副頭取として断固反対しました。イトマンは石油の分野で営業実績がないし、石油関係の専門家もいない。だから、私は会長室へ行って、「この融資の話はおかしい」と指摘したんです。

ところが、それが磯田さんの逆鱗に触れました。「これは銀行の方針だ。そんなに気に入らないのか。君、辞めるつもりか」とまで言うので、私は「自分の考えは変わりません」と答えました。その時はすぐに辞めろというわけではなく、「邪魔をせずに、静かにしていろ」ということだったのですが、しばらくして、住友関連2社の社長ポストの話が出てきました。磯田さんに「話をつけてきたから、どちらでも好きな方を選べ」と言われた私は、「どちらもお断りします。私はアサヒビールに行かせてもらいます」と返事をしました。これにはさすがの磯田さんも、「君、本気か」と驚きました。

「アサヒは、先行きどうなるかわからん。うちから何人も行っているけれども、うまくいっていないじゃないか」というわけです。私は生意気にもこう言いました。「順調にいっているところで頑張っても、やりがいがありません」

私はそれまで走り続けてきました。住友銀行の中では一番若く取締役になり、常務、専務、副頭取になるのもスピード記録を作ったほど、仕事に打ち込んできました。しかし、トップとの意思の疎通がうまくいかなくなると、職場の空気は微妙に変わるものです。その辺りの変化を私は感じていたので、銀行を辞める覚悟はできていました。日ごろ尊敬している元頭取の堀田庄三さんと伊部恭之助さんにも相談して、辞任の覚悟を申し上げていました。

当時のアサヒの社長は、私の長年の上司で大変縁の深い元副頭取の村井勉さんです。進退の相談にうかがった私の話を聞いて、村井さんは「よし、樋口くん。力を合わせてやろうや。私も残るよ」と言ってくださいました。

アサヒビールは、村井さんも私も若いころに担当したことがある、思い出深い会社でした。「この会社には底力がある。こんなもんじゃないだろう」と思っていました。アサヒビールで昔から私を知っている人は少なくなっていましたが、私はやる気満々で、誰も連れずに一人で飛び込みました。

この連載は、2001年1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および新聞連載に加筆して出版された本「樋口廣太郎 わが経営と人生 ―私の履歴書―」を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。2013年、日経Bizアカデミーで公開した記事を再構成しました。

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