坂本龍馬ゆかり瀬戸の港町 鞆の浦の「湯船」広島県福山市 鞆の浦を訪ねる

龍馬暗殺にも関係

「龍馬が鞆の浦に滞在したのは4、5日ですが、歴史的には重要な出来事が起きた」(通堂館長)という。土佐出身の龍馬は江戸、そして長崎、京都を行き来して幕末を生きた。鞆の浦と関わったのは「いろは丸沈没事件」だ。

江戸期からの商家も

1867年5月、龍馬は蒸気船のいろは丸で長崎から大阪に向かう途中で、紀州藩の軍艦と衝突、鞆の浦の近くで沈没した。龍馬は鞆の浦に上陸し、紀州藩と賠償交渉をした。紀州は徳川御三家、お上の強い立場だが、粘りに粘って結局、賠償を勝ち取った。

日本最初の海難審判事故だという専門家もいる。賠償金が支払われたが、その後わずか1週間あまりで龍馬が暗殺されたため、この事件と龍馬暗殺を結びつける歴史愛好家もいる。

中世では、室町幕府15代将軍だった足利義昭が織田信長に京都から追放され、中国地方の雄、毛利氏を頼り、この鞆の浦を拠点として「反信長同盟」を画策したことでも知られる。「鞆幕府」と呼ばれた。通堂館長は「義昭が鞆の浦のどの場所に暮らしたかは今も分かりませんが、本拠としていたのは事実です」と話す。

しかし、最近の鞆の浦を有名にしたのはやはり宮崎駿監督だろう。2008年に公開された「崖の上のポニョ」の舞台は鞆の浦だといわれる。「宮崎さんは1カ月半か2カ月ぐらい滞在されていましたね。よく町のなかを歩いておられました」(通堂館長)。以来、洋画の「ウルヴァリン: SAMURAI」、テレビドラマ「流星ワゴン」など様々な映画やドラマのロケ地となった。

■観光船で仙酔島に 

仙酔島に渡る観光船

鞆の浦の眼前に仙酔島や弁天島などの瀬戸の小島が浮かんでいる。この仙酔島は無人島ではあるが、国民宿舎もあり、夏には海水浴の客でにぎわう。筆者も小学校のころこの島に渡った記憶がある。今は龍馬のいろは丸をイメージした観光船で渡ることができる。他の観光客と、その船に乗ってみた。

弁天島

1月でも穏やかな瀬戸の海。気温は7度ぐらいだが、海上では日差しが強く寒さを全く感じない。弁天島を横目で見ながら、船はゆっくり進む。この島には銀閣寺に似た文字通りの弁天堂が立っている。弁天島に立ち寄りたいという観光客は少なくないが、容易に立ち入ることは許されない。この孤島に渡る定期船はない。

わずか15分ほどで仙酔島の桟橋に着いた。5分ほど歩くと、白浜のビーチが見えてきた。そういえば、高校1年生のときも、ここに来たことがある。新しいキャンプ場はあるが、あとの風景は何も変わらない。観光客の姿がちらほら見えるが、島は静寂に包まれている。

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瀬戸を見下ろす湯船