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元東京大学総長で現在は三菱総合研究所の理事長を務める小宮山宏氏(72)は、経済界に数多くの優れた個性派リーダーを輩出してきた東京大学アメリカンフットボール部の出身。なぜ東大アメフト部出身者は個性派ぞろいなのか。自身の思い出を振り返りながら、東大アメフト部の「強み」を語ってもらった。

(下)東大アメフト部で学んだ「勝つことよりも大切なこと」>>

東大アメフト部は今年、創部60周年を迎える。

東大アメフト部が所属する関東学生アメリカンフットボール連盟には現在、96大学が加盟しています。一番上に16校で構成する1部リーグがあり、その1部リーグはさらに、上位8校でつくるTOP8と下位8校からなるBIG8の2つのリーグに分かれています。

東大は今シーズン、BIG8で全勝し首位となりましたが、残念ながらTOP8最下位の日本体育大学との入れ替え戦に敗れ、昇格はなりませんでした。ただ、関東でトップ10に入る実力があることは間違いありません。

部員の数も多く、現役部員は、トレーナーや敵の戦力を分析するスタッフなどを含め約140人。スタッフには女子学生もたくさんいます。コーチやチームドクターなども加えると、総勢170人ぐらいの大所帯。東大の運動部の中では、間違いなく最大最強と言えるでしょう。今年は39人の1年生が新戦力として加わりました。ここ10年では最多です。来シーズンは今シーズン以上に期待が持てます。

OB・OGも、さまざまな分野で活躍しています。経済界では、私と年齢が近いところだと、NEC元社長の故西垣浩司氏、富士フイルムホールディングス会長兼最高経営責任者(CEO)の古森重隆氏、LIXILグループ前社長の藤森義明氏らがいます。まさに多士済々です。

「アメフトの持つ近代的で新鮮なイメージにひかれた」と話す

「アメフトの持つ近代的で新鮮なイメージにひかれた」と話す 

高校時代は野球部だった。

なぜ東大でアメフト部に入ったかというと、まず、東大の野球部に入ってもレギュラーになる自信がありませんでした。

もう一つは、当時アメフトは非常にマイナーなスポーツでしたが、それが逆に魅力でした。私の通っていた東京都立戸山高校には、アメフト部はありませんでしたが、代わりにタッチ・フットボール部というのがありました。タックルのないアメフトです。それを横で見ていた私は、格好いいなあとひそかに憧れていました。時代の最先端を行くスポーツに見えたのです。たぶん、東大アメフト部に入った他の多くの人たちも、アメフトの持つ近代的で新鮮なイメージにひかれたのだと思います。

あとは、まあ、年ごろなので、女の子にモテたいという不純な動機があったことも否定しません。部の資金集めと称して、ダンスパーティーもよくやりました。今で言う合コンです。でも、結果はたいしたことありませんでした(笑)。

入部してみると、とても自由な雰囲気でした。創部してまだ数年しかたっていないということもありましたが、運動部にありがちな上級生が下級生をしごくといった理不尽な習慣はまったくなかった。

ただし、先輩後輩のけじめがなかったという意味ではありません。私も含めて新入部員のほとんどはアメフトの経験がゼロ。ですから、先輩に手取り足取り指導してもらわないと、何もできません。先輩にいろいろと教えを請いながら、とても自然な形で先輩後輩の関係が築けたと思います。

練習はきつかった。

夏合宿は、現在は長野県の斑尾高原でやっていますが、私たちのころは、非常に蒸し暑い千葉市内のグラウンドでした。地獄のような暑さの中、朝から夕方まで毎日6時間、びっしり練習しました。

中身も相当激しかった。今のようなきっちりしたスポーツ理論などなかった時代ですから、練習法も今から見れば間違いだらけ。例えば、今は、練習中の水分補給は10分おきにしていますが、当時は、水は一切飲ませてもらえません。タックルの練習も、昔はくたくたになるまで長時間やりましたが、今は、体や脳によくないことがわかってきたので、全力でやるのは練習の最初の短い時間だけ。だんだん合理的になってきています。

夏合宿は非常に辛かったですが、その時の経験から、今でも仕事をする上で役立っていることが一つあります。練習で疲れていると朝起きるのが辛いのですが、無理やり起こされると、ちゃんと動けるんだということを、合宿中に体で覚えました。

そのおかげで、働き始めてからも、どんなに仕事で疲れて朝起きるのが辛くても、気合で起き、仕事にとりかかることができました。体力の落ちた今でも何があっても朝起きることができるのは、長年の習慣が体にしみついているせいでしょう。

ちなみに、普段の練習は、夕方から日没まで。当時は練習場が駒場キャンパスにあり、3、4年生が学ぶ本郷キャンパスを午後3時に出る連絡バスに乗らないと練習に間に合わなかった。理系だったので実験の授業があったのですが、実験を終わりまでやっているとバスに乗れない。いつも仲の良いクラスメートにお願いして、途中で抜け出していました。大きな声では言えませんが、当時はそれでも卒業できたのです(笑)。

インタビュー/構成 猪瀬聖(ライター)

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「リーダーの母校」は原則、月曜日に掲載します。

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