ノットと東響のブルックナー 日本のオケの限界を突破
クラシックCD・今月の3点
ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団
日本のオーケストラに対しては長く、「一糸乱れず正確に合奏するが、響きの個性や音の美感に欠ける」との批判がつきまとってきた。東京交響楽団(東響)が昨年10月、2014年から第3代音楽監督のポストにあるジョナサン・ノットとともに行った欧州演奏旅行の最終公演(27日)地、ドイツ・ドルトムント市でも客席はスタンディングの熱狂だったにもかかわらず、地元紙の批評は従来の視点を変えるものではなかった。果たしてこれは、事実なのだろうか?
確かにバブル経済の時期、1980年代末から90年代初頭にかけて日本各地にコンサートホールが新設され、オーケストラの公演数も増えたが、没個性の欠点は克服できなかった。ところが過去2~3年のうちに、楽団ごとの響きのアイデンティティー、美しい音色が急激に備わってきた。中でもノットと東響はシルヴァン・カンブルランと読売日本交響楽団(読響)とともに、はっきりした個性を持つユニットへの脱皮に成功しつつある。カンブルランが2010年に読響の第9代常任指揮者へ就き、じっくりと音に磨きをかけてきたのと同じように、ノットも契約を本人の強い希望で2026年まで延長、長期ビジョンで東響の芸術性を高めていく構えだ。
ノットは英国人ながら、フランクフルト市立劇場オペラのピアニストからキャリアを積み上げ、2000~16年にバンベルク交響楽団首席指揮者を務めるなど、ドイツ語圏での活躍が長い。バンベルクではマーラー、シューベルトの交響曲全集を録音したが、ブルックナーには慎重だった。満を持して昨年、「交響曲第8番」をバンベルク響と東響で指揮、後者との7月16日、東京・サントリーホールでのライブがCD(SACDとのハイブリッド盤)に収められた。自然観照の素朴さ、石像を思わせる尊大さのいずれにもくみせず、東響ならではの柔軟性を最大限に生かし、ドイツ・オーストリアの近代音楽の傑作に多面的な光を当てる。新鮮で躍動感にあふれた名演を虚心に聴くとき、日本のオーケストラが全く新しい次元に至ったと実感できるだろう。(オクタヴィア・レコード)
ペーター・レーゼル(ピアノ)、ヘルムート・ブラニー指揮ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団
旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)きってのヴィルトゥオーゾ(名人)ピアニストだったレーゼルが「ブレイク」したのは、一般的には2007年の東京・紀尾井ホール、日本で三十数年ぶりに行ったソロリサイタルがきっかけとされる。だがその5年前、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターを務めた後、日本で指揮活動を本格させたゲルハルト・ボッセがミュージックアドヴァイザーの任にあった新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会へレーゼルを招き、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番『皇帝』」を共演した際のセンセーションこそ、すべての始まりだった。ヒューマニズムの根幹と音楽の骨格だけを信じ、余分な効果を一切加えないにもかかわらず、どこまでも深く、味わい深い音楽が広がるような「皇帝」を私たちは長く、忘れていた。
レーゼルは東西ドイツが統一された前後の1980年代末、全5曲をドイッチェ・シャルプラッテン(旧東独レコード公団)に録音していたが、共演者(クラウス・ペーター・フロール指揮のベルリン交響楽団=現ベルリン・コンツェルトハウス交響楽団)のコンディションが万全とはいえなかった。
今回は昨年4月9日(第2、3、4番)と10日(第1、5番)の2日間、スイスのレマン湖畔にあるヴヴェイの街へ客演して行った全曲演奏会をライブ収録(SACDとのハイブリッド盤)。すでにモーツァルトの「ピアノ協奏曲」シリーズで息の合ったコンビを確立した指揮者のブラニー、世界最古のオーケストラの一つであるザクセン州立ドレスデン歌劇場の管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)の楽員有志による小編成のアンサンブルとともに、5曲への積年の思いを徹底的に吐露する名演に仕上がった。(キング)
コルネリア・ヘルマン(ピアノ)
「ショパン+(プラス)」
マルティン・シュタットフェルト(ピアノ)
ドイツ人の父と日本人の母の間に音楽の街、ザルツブルク(オーストリア)で生まれた女性ピアニスト、ヘルマンの名を一躍有名にしたのは1996年、ライプツィヒのJ・S・バッハ国際音楽コンクールのピアノ部門に史上最年少(19歳)で最高位入賞を果たした時だった。バッハが活躍した時代の鍵盤楽器はチェンバロ、クラヴィコードなど、現代のピアノとは異なる発音構造や機能を備えていた。ただバッハ自身は並外れた鍵盤の名手だったため、当時の最新モデルだった楽器の限界を超え、はるか先の時代の楽器の表現の可能性も念頭に置いて作曲したと思われる。
ヘルマンは20世紀のイタリアで誕生した新しいピアノの名器、ファツィオーリの俊敏なメカニズムと華やかな音色をフルに生かす一方、アーティキュレーション(音の分節法)やフレージング(旋律の歌わせ方)にはピリオド(作曲当時の仕様の)楽器の研究成果をごく自然に取り入れ、現代人の心に響く、精彩あふれるバッハの再現に成功した。(カメラータ・トウキョウ)
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これに対し2002年のバッハ国際コンクールに優勝したドイツ人ピアニスト、シュタットフェルトは大ヴィルトゥオーゾでもあった作曲家リストが弾いていたというバイロイトのピアノ会社シュタイングレーバーの古風な響きのピアノを選び、ショパンの「12の練習曲作品10、25」の全24曲の冒頭と間に計10曲、自作の即興を追加して「バッハからショパンが受けた強い影響」を立証しようと試みた。
だからアルバムタイトルで、ショパンの後に「+」が付く。ライプツィヒの聖トーマス教会のカントール(楽長)として生涯を終えたバッハは、典型的な北ドイツのルター派教会(プロテスタント)の作曲家であり、宗教音楽の基本にはつねに、コラール(全会衆によって歌われる賛美歌)がある。シュタットフェルトは「純粋な音楽」の部分ではコラール、「鍵盤楽器の練習曲」の部分では「平均律クラヴィーア曲集」と、バッハを特徴づける2つの作曲分野を下敷きに即興を自作して挿入。優れた演奏技巧を深く沈潜させ、ショパンに潜むバッハへのダイレクトな尊敬、系譜を白日の下へと明らかにしていく。(ソニー)
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バッハとショパン。どちらの作曲家も好きなら、2枚を交互に繰り返して聴けば聴くほど新たな発見があり、実におもしろい。
(コンテンツ編集部 池田卓夫)
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