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都会に残る庶民の足 大阪渡し船巡り 日伊協会常務理事 二村高史

2017/1/24

■小学生の楽しい通学路――千歳渡船場

 船町渡船場を出て大正通りを北上し、鶴町の北端近くにやってくると、天空高く優雅にそびえる千歳橋の姿が見えてくる。大正内港にこの千歳橋が架かったことで、都心に向かう車やバスは便利になったものの、橋が川面から28メートルもあるために、千本松渡船場と同じ理由で渡し船が残されている。

 「バスで行く? 船で行く?」

 南側(鶴町側)乗り場近くで、自転車に乗った小学生の男の子が、後からやってくる友だちに大きな声で聞いていた。この近くにはバスの車庫があり、千歳橋を渡って大正駅や難波方面に行くバスも走っている。

梅田の高層ビルをバックに千歳渡船が南側(鶴町側)に到着

 結局、2人は自転車に乗ったまま、船で対岸に渡っていった。渡し船で通学したなんて、大人になってもいい思い出として残るに違いない。

 この航路の最大の特徴は、広々とした港内を走るために、眺めが良いこと。南側からは、梅田の高層ビル群が正面に見えて、すがすがしい気持ちになる。

 千歳渡船場の北側(北恩加島側)で下りて北に歩いて着いたところ、そこは北恩加島(きたおかじま)の町。もともと大正区には沖縄から働きに移ってきた人が多く、一説によると人口の4分の1が沖縄にルーツを持つという。10年前にもこの町で沖縄そばを食べたが、その店が今回も健在だったのはうれしかった。

 恩加島という地名は、沖縄出身の薄幸な女性を歌った「今帰仁天底節(なきじんあみすくぶし)」という民謡の歌詞にも出てくる。沖縄好きにとって、今風にいえば聖地巡り、昔風にいえば歌枕を訪ねる旅。こんな気分でぶらぶら楽しく歩いた。

■甚兵衛さんが紅葉の名所に開いた茶店跡――甚兵衛渡船場

 15分ほど歩くと、今度は尻無川を渡る甚兵衛渡船場に着く。乗り場に掲げられた案内板によると、江戸時代に甚兵衛という人が開いた茶店にちなんだ名前なのだそうだ。当時は尻無川の堤が紅葉の名所として知られたという。今ではその面影はないが、目を閉じると、鮮やかな紅葉を眺め、お茶を飲みながら船を待つ大阪人の活気が伝わってくる。

甚兵衛渡船の東側(泉尾側)乗り場入り口。紅葉の名所だった時代の浮世絵も見える

 ここは8カ所の渡船場で利用者が一番多い。大阪市建設局のホームページによれば、1日1000人以上が利用するそうだ。日中は15分おきに運航しているほか、朝の通勤通学時は「随時運転」とされており、2隻の船で利用者をさばくという。

 甚兵衛渡船場は、船の進み方がずいぶんユニークだ。出航してすぐはバックで進み、しばらくすると切り返して左右に急旋回をして対岸に到着する。スペースが限られているので、こんな進み方をするのだろうが、見ていても、乗っていても、なんとも飽きない。とはいえ、遊び気分で行ったり来たりするのは申し訳ないし、先述したように往復はしない主義なので、静かに渡船場を後にした。

旅客定員46人と記されているが、自転車込みだとそんなに乗れないだろう。2006年5月撮影

 こうして10年ぶりの大阪渡船場巡りは、天気はいまひとつだったが、それを打ち消しても余りあるほど、じっくり堪能することができた。

 大阪と聞いてほかの地域に住む人がイメージするのは、食い倒れ、元気なおばちゃん、通天閣、浪速ど根性物語、お笑い、USJといったところだろうが、渡船場を巡る旅では、それとはまたひと味違う大阪の表情を見ることができる。

 そして、しみじみ思った。大阪湾岸の工業地帯は、関西、いや日本の発展を支えてきた。すでに廃止になった航路を含めて、大阪の渡し船はその一翼を担ってきたのだなということを。

 大阪渡船場の歴史と地理については、大阪市のウェブサイト内にある「大阪渡船場マップ」に詳しい。地図と交通機関があらかじめわかっていれば、1日で回ることも不可能ではないので、参考にされたい。ただし、かなり歩くことを覚悟して。

【大阪渡船場マップ】http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000011242.html

 老婆心、いや老爺心で付け加えておくと、渡し船はあくまでも地元の生活者のための公共交通手段である。この記事を読んで乗ろうと思った方は、地元の方の邪魔にならないよう静かに利用していただければ幸いである。

 なお、写真は特記したもの以外は2016年11月の撮影である。現在、船内と桟橋での撮影は揺れて危険なために禁止となっているので注意してほしい。

二村高史(ふたむら・たかし) フリーライター、公益財団法人日伊協会常務理事。1956年東京生まれ。東京大学文学部卒。小学生時代から都電、国鉄、私鉄の乗り歩きに目覚める。大学卒業後はシベリア鉄道経由でヨーロッパに行きイタリア語習得に励む。塾講師、パソコン解説書執筆などを経てフリーランスのライターに。「鉄道黄金時代 1970's ディスカバージャパンメモリーズ」(日経BP社)、連載「30年の時を超える 大人のシベリア鉄道横断記」(日経ビジネスonline)などの鉄道関連の著作のほか、パソコン、IT関係の著書がある。

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