八神純子さん リハビリ中の父に「約束」
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はシンガー・ソングライターの八神純子さんだ。
――幼い頃から音楽に囲まれた生活だったようですね。
「3歳からピアノ、小学生から日本舞踊を習っていました。父は長唄をやっていて、母は洋楽が、祖母は民謡が好きでした。私は家でもいつも歌っていましたが、『やめなさい』と言われたことは一度もありませんでした」
――芸能界に入ることについてご両親は。
「反対でした。母が心配性で地元の名古屋から東京に行くのを心配していました。父は本当はうれしかったようですが、喜ぶと母に叱られるので一緒に反対していたのだと思います。会社を経営する父は私のレコードを母に内緒で大量に買い込んでいました。『レコード会社に迷惑かけてはいけない』という経営者らしい思いだったのでしょう」
「私は長女ということもあり、門限も男女交際も厳しくしつけられました。相談すると止められるので、やりたいことは内緒でやりました。国際結婚も米国への移住も決めてから言いました。父は『純子はいつも事後報告だなあ』とこぼすのですが、いつも支援はしてくれます」
――2001年9月11日の米同時テロを機に音楽活動を休止しましたね。
「当時カリフォルニアに住んでいたのですが、実はテロの1週間前に親友の家族3人が自宅で知人に撃ち殺される事件があり、私はご飯を作りに親友宅に行っていたさなかでした。『次は何?』と何もかもが信じられない恐怖に襲われ、子どもから離れられなくなりコンサートをキャンセルしてしまいました」
――10年後、東日本大震災(3.11)が発生。被災地支援を精力的に続けてますね。
「9.11の時とは逆の心境になりました。周りからは『放射能が危険だ』と止められましたが震災後すぐに帰国しました。9.11で閉まったドアが3.11で開いたのです。心配するだけで何も挑戦しない人生はやめよう。東北に行って被災者の人たちと今を生きよう、と思えたんです」
――最近、お父さんがケガをされたそうですね。
「昨年秋に自宅で転び背骨の圧迫骨折で入院しました。87歳なのでよほど頑張ってリハビリしないと回復は難しい。ところが、歯を食いしばっています。母に頼まれて物を運んでいる時に転んだらしいのです。申し訳ないと思う母に、父は自分を責めないでほしいと、リハビリに耐えているようです」
――コンサートも楽しみにされているようですね。
「2月の名古屋で初のフルオーケストラのコンサートに『ちゃんと歩いて来てね』と言っています。介護士の妹の励ましもあり、今は退院してつえで歩けるようになりました。父の好きな『約束』という夫婦愛を描いた歌があります。きっと両親そろって聴きに来てくれると思います」
[日本経済新聞夕刊2017年1月17日付]
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