作品から感じた母の思い ヘザー・ブラッキンさん
住空間収納プランナー
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は住空間収納プランナーのヘザー・ブラッキンさんだ。
――お母さんは恋愛作品も多い、作家の故・森瑶子さん。家族に見せる顔はどんなだったのでしょうか。
「私が幼い頃は、英国人の父がしていたダーツ輸入の仕事を手伝う普通の母でした。夏休みは軽井沢に借りた別荘で一緒にブルーベリーやルバーブのパイを作ったり、プールに出かけたり。母はわりと地味で現実的な人でした」
「12歳の時、友人に電話しようとしたら『大事な電話を待っているから』と止められました。その後電話が鳴り『ママの書いた本が優勝したのよ』と言い残して出て行ってしまいました。すばる文学賞受賞の連絡でした。それ以降、母は忙しくなりました。雅代・ブラッキンから森瑶子に変身した感じです。ですが、父の『君は第一に子どもの母であり、第二に僕の妻で、森瑶子は三番目』という言葉を母はよく理解していました。昼間に小説を書き、合間に夕食の支度をし、休日は家族と過ごす。他のお母さんとは違う、とは感じませんでした」
――有名作家のお母さんを持つのはどうでしたか。
「母の海外取材に同行できたのは貴重な経験ですが、自分たちのことを書かれるのはすごくイヤでした。良いことを書いてくれればいいのに、面白おかしく、大げさに書いてしまう。文句を言うと『あなたはそのおかげで英国の大学に行かせてもらえたでしょ』と反論されました」
「いつか母の小説を読み、私がショックを受けたり勘違いしたりするかもしれないと思ったのでしょうか。『現実を書くのはただの日記で、面白くない。話をふくらませ、本当でないことをくっつけるのが小説を書くということ』と何度も言っていました」
「『情事』に登場する娘のエリカは私のこと。他の登場人物も誰のことか全部分かります。まるで母が不倫しているかのようですが、『ドキドキしたい』が実生活では何もないからこそ作った話だと理解できました。同時に母が『3人の娘の母、主婦で終わっていいのか』とつらい思いを経て小説を書き出したというのを感じました」
――お母さんの作品をお父さんはどう見ていましたか。
「日本語が読めない父は、母の作品について他人から聞いて傷つき、何度も母と衝突していました。ドラマ『マッサン』が放映され、竹鶴夫妻をモデルにした母の作品『望郷』が復刊したので、英訳して父に渡しました。父は初めて私を通して母の小説を読みました。とても感心していました。安心したと同時に見直したんじゃないかな」
――ヘザーさん自身も本を出しました。
「母と同じようなことができて誇りに思いますが、私のは実用書。文学とは全く異なります。本当は母のように小説を書きたいと思いますが、ネタも自信もないですね」
[日本経済新聞夕刊2017年1月10日付]
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