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大阪大学の工学部情報システム工学科を卒業し、松下電工(現パナソニック)に入社した青野慶久氏。仲間3人と松山市にある2DKのマンションを家賃7万円で借り、サイボウズを起業したのは1997年8月のことだった。創業から約3年で東証マザーズに上場。本社も松山市から大阪市、さらには東京へと移転し、人員も急拡大した。だが、人生初の挫折を味わったのも上場後だった。

(上)サイボウズ社長が役員にまで副業を奨励したワケ >>

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私はそれまで、どこか楽をして生きていました。みんなが一生懸命に受験勉強している時でも、授業中にプログラムを書いて、それでも希望する大学に入れた。教授推薦で松下電工にも入社できたし、創業したら3年で上場ですから、心のどこかで「人生楽勝だ」と思っていたかもしれません。「俺って、すごい強運の持ち主なんじゃないか」とも――。

サイボウズの社長に就任したのは、2005年春のことでした。その約2年前、会社は創業以来初の減収減益となり、社内はかなりギクシャクしていました。創業以来ずっと社長を務めていた仲間が退社し、私がその後を引き継ぐことになった。そのころの社員数は約80人。加えて派遣社員が50人くらいいましたから、全体で130人くらいの組織になっていました。

考えてみたら、私はそれまで部下をちゃんと持ったことがなかったんです。なのに、社長に就任するなり130人の組織を率いなければならなくなった。

そのころのサイボウズは、ガチガチの「成果主義」で動いていました。前の社長はよく「アップ・オア・アウト」と言っていましたけれど、2回連続して一番悪い評価をもらうと「辞めますか?」という話になる。社内相対評価で上半分は昇給があり、下半分は昇給がないというような、けっこうエグい人事制度をとっていました。

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