日本固有の良さをPR 外国人引き付ける観光地づくり訪日旅行ベンチャー、フリープラスの須田健太郎社長に聞く(4)

公認会計士・心理カウンセラー 藤田耕司

公認会計士・心理カウンセラー 藤田耕司
フリープラスの須田社長
フリープラスの須田社長

東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年、さらにその後の「post2020」時代も日本経済の活力の源泉になると期待される訪日観光関連ビジネス。この分野で急成長するFREEPLUS(フリープラス、大阪市)の須田健太郎社長(32)は幾多の挫折を乗り越え、次のステージを目指して訪日観光客向けのホテル事業への参入を準備している。(聞き手は公認会計士・心理カウンセラー 藤田耕司)

藤田 そもそもどんな経緯で起業を決意したのですか。

須田 20歳までは特にこれといった夢もなく、起業家になりたいわけでもありませんでした。20歳になって成人式に参加し、ふと「もう二度と成人式には出られない。過ぎた時間は戻ってこない」と気付いたのです。確実に時間は過ぎ、その分だけ死に近づいている。だったら、世界に「生きた跡」を残したいと思いました。

藤田 20歳の若者には、いろいろな可能性がありますね。

須田 私はピアノを3歳から、ギターは14歳からやっていて、高校の時には雑誌のコンテストに応募して作詞、作曲で優秀賞をもらったこともあります。それにスポーツでは陸上もやっていました。ただ、音楽も陸上も世界水準の実力があったわけではないので、個人の才能だけでは、世界に生きた跡は残せません。いろいろ考えた結果、会社をつくって優秀な人間を集め、世界にインパクトを与えるくらいの規模にすることを思い立ちました。世界の人に喜んでもらえるサービスを提供し、その会社を残せて死ねたら「生きた意味がある」と感じました。それ以後、世界企業をつくることが私の生きる目的となりました。そして07年に起業しました。始めはIT(情報技術)エンジニアの派遣事業をしていました。

藤田 そこからどんな経緯で訪日観光事業を始めるようになったのでしょうか。

須田 設立から2年目の08年にリーマン・ショックが起きて、その影響でITエンジニアの派遣の案件が大幅に減り、倒産の危機を迎えました。「このままでは生きていけない」と思い、新たにSEO(検索エンジン最適化)事業を始めました。顧客のウェブサイトを検索結果の上位に表示させるコンサルティングです。この事業によって何とか3年目で業績をV字回復させ、4年目には安定的に利益を生み出せるようになりました。その状態になって、人生をかけてもいいと思える事業とは何かということを考えるようになりました。

藤田 何を基準にして、人生をかけてもいいと思える事業とは何かを考えたのでしょうか。

須田 もともと日本を元気にしたいとの思いがありました。ですから、今後の日本経済の成長に貢献できる事業は何かということを基準に考えていました。そこで思いついたのが訪日観光事業でした。

藤田 そして10年に訪日観光事業を始めるわけですね。とはいえ、ノウハウも経験もない状態で、どうやって始めたのですか。

2010年に訪日旅行事業を始め、日本への送客の初受注に成功。上海の子会社で日本側の社員とビデオ会議中に記念撮影をした須田社長(右)

須田 まず1人で中国に行って、上海でマンションを借り、現地の旅行会社向けに電話でアポを取り始めました。中国は市場規模が大きいのに、旅行業が成熟していないと感じたので、上海から始めたのです。

藤田 中国語でのコミュニケーションは大変だったのではないですか。

須田 幼いころにマレーシア、インドネシアに住んでいたこともあり、少しだけ中国語は話せました。中国の旅行会社に電話し、アポを取って、営業活動を続け、半年ほど頑張りました。ただ、日本に連れて来ることができた観光客は2人だけでした。