ジョージ・マイケル 少年のピュアな心が生んだ名曲群
ジョージ・マイケルが亡くなった。2016年12月25日に英オックスフォードシャー州ゴーリング・オン・テムズの自宅で、安らかに息を引き取ったという。
デュオグループのワム!時代からソロアーティスト時代にかけて、全世界で2億枚以上を売り上げたカリスマ的シンガーソングライターである彼は、ワム!時代に送り出したポップバラードの傑作「ケアレス・ウィスパー」(84年)や、クリスマスソングの定番「ラスト・クリスマス」(84年)を筆頭に、数々のヒット曲や名曲を送り出して堂々のキャリアを積んだ。
その彼が、よりにもよって、年末のホリデーシーズンに欠かせない「ラスト・クリスマス」が世界中の街角に流れるクリスマス当日に亡くなるなんて、にわかに信じ難い、いや、信じたくない訃報であった。
ピュアでスピリチュアルな名曲の数々
多くの音楽界のレジェンドがそうであるように、ジョージ・マイケルも取材嫌いで、あまりインタビューを受けなかったようだ。筆者は幸いにも、ワム!の時代に取材の機会を得た。彼らがまだ20代、世界的な人気スターにのし上がったころの来日とあって、レコード会社の関係者やスタッフが彼らの扱いにピリピリする雰囲気のなか、約束の時間に遅れてやって来た。だが、まったく悪びれもせず、近所の散歩から戻ってきたかのように、さわやかな笑顔で筆者に接してきた無邪気な姿を思い出す。
それは20代の若者というより、10代の少年のキラキラとした表情だった。その後、彼が作り続けたピュアでスピリチュアルな名曲の数々を思うと、あの時の少年のような気持ちをずっと持ち続けて、偉大なキャリアを築き上げたのではないだろうか。
ジョージ・マイケルの歩みを振り返ってみよう。1963年6月25日、ロンドン郊外のイースト・フィンチレーで生まれ、本名はヨルゴス・キリアコス・パナイオトゥーという。ジョージ・マイケルというアーティスト名は、少年時代に自らが作り上げた架空のヒーロー名に由来しているそうだ。
学生時代に仲間とスカバンド、エグゼクティブを結成して、音楽活動を開始。同バンドを母体として、メンバーだったジョージとアンドリュー・リッジリーが81年に結成したのがワム!であった。ブレイクのきっかけになったセカンドシングル「ヤング・ガンズ」(82年)や、英米を含む世界中でNo.1に輝いた「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」(84年)など、ジョージがワム!時代に放った数々のヒット曲は珠玉のダンスポップ。ワム!は80年代ポップスの代名詞ともなった。
歌手、作詞作曲、プロデューサーの3役をこなす
ワム!の音楽は、ディスコサウンドのグルーブを基軸にして、60年代ポップスやR&B/ソウル、ラテンミュージックを融合させたダンサブルなポップというスタイルだった。ディープでありながら包容力を感じさせるジョージのボーカルが成功の大きな要因だったが、加えて彼はソングライター、音楽プロデューサーとしての才能にも恵まれていた。著名なプロデューサーを起用して成功した他のアーティストと違って、ワム!の場合は、ジョージ自らがクリエイティブな部分でも才能を発揮したのが大きな特徴だ。
ワム!時代にソロとして出したバラードの傑作「ケアレス・ウィスパー」(日本ではワム!名義で発売)で、歌のうまいシンガーであるだけでなく、ソングライター、プロデューサーとしても優れており、三拍子そろった天才としての才能を持つことを強烈にアピール。ワム!時代のもうひとつのソロであるバラード曲「ディファレント・コーナー」(86年)とともに、後のソロ活動への布石となった。
86年のワム!解散後、ソロに転身したジョージ・マイケルはさらに躍進を遂げる。ソロアルバム第1作『フェイス』(87年)は英米でNo.1に輝き、「アイ・ウォント・ユア・セックス」や「フェイス」など6曲の世界的ヒットも生まれた。以後も、寡作ながら時代の節々で傑作を発表してヒットさせている。
ソロ転身後は、シンガーとしてのスタイルにも大きな成長を見せた。ボーカル表現に研ぎ澄まされた刃のような鋭さがあるかと思えば、とても繊細な感情表現もアピールするなど、変幻自在のマジックが生まれた。ゴスペルやジャズ、カントリーなど、それまで以上に様々なスタイルの音楽を融合させた独自の音楽表現を確立したのも、ソロ活動に入ってからの大きな特徴である。アレサ・フランクリンを皮切りに、ホイットニー・ヒューストンやメアリー・J.ブライジ、ポール・マッカートニー、クイーン、エルトン・ジョンら様々なアーティストやバンドとも、デュエットやコラボレーションをしている。
ポップシンガーよりも生粋のアーティスト
ソロ時代の代表曲の1つ「ファストラヴ」(96年)は、筆者の個人的なお気に入りであり、発表以来ずっと聴き続けてきた名曲だ。セクシーでありエロチックでスピリチュアルなこの曲が表現しているように、ソロ時代のジョージの曲は、非常にリアリティーがあり、彼自身の人生や創作の喜びや苦悩が込められているような気がする。
ロックのカリスマによくあるダーティーなイメージこそないが、人気者につきもののゴシップは尽きず、公然わいせつの逮捕劇やドラッグ所持問題、レコード会社との訴訟などで世間を騒がせたことが多々あった。公然わいせつの件は、ゲイのカミングアウトにつながったが、一方で「アウトサイド」(98年)なるセルフパロディー的な問題作を誕生させる原動力にもなった。曲の内容もそうだが、なによりビデオクリップが強烈で、徹底的に権力側を笑い飛ばしていたのが印象に残る。
そうした彼の一面を思うにつけ、ポップスターではあったものの、やはり生粋のアーティストだったのだろう。ブルーアイドソウルの流れにあるボーカル表現にしても、他の追随を許さないカリスマ性を感じさせ、幅広く深いアート表現につながる迫力があった。
先に書いたように、ジョージ・マイケルとは、ヨルゴス少年が幼い頃に作り上げたもう1人の架空の人物の名前である。少年が作り上げた無邪気な夢の中で展開されるヒーロー、ジョージ・マイケルの冒険は、この冬にエンディングを迎えた。
16年はデビッド・ボウイ、プリンス、ピート・バーンズ(デッド・オア・アライブ)、レナード・コーエン、グレッグ・レイク(キング・クリムゾン、エマーソン・レイク&パーマー)ら、ポップロック系の偉大なアーティストたちが亡くなった。
先人たちに続くジョージ・マイケルの死は、音楽の1つの時代の終焉(しゅうえん)を告げるフィナーレになってしまった。それでも、名曲は残るのだ。ご冥福をお祈りする。
(音楽評論家 村岡裕司)
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