フリーアナ・久保純子さん 言い回しなど、父に相談

2016/12/28

それでも親子

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はフリーアナウンサーの久保純子さんだ。

――両親はアナウンサーでした。将来はアナウンサーになろうと思っていましたか。

くぼ・じゅんこ 1972年東京生まれ。94年にNHKに入り、アナウンサーとして人気番組を担当。2004年フリーに。テレビやラジオ出演のほか、シンポジウムなどの司会、絵本の翻訳も手掛ける。

「子どものころから、子どもの世話をするのが好きでした。一方で、小学校4年から中学1年まで英国で暮らすなど海外で生活し、言葉を通していろいろな人たちや新しい世界と出会えた。将来は子どもと言葉を中心にした仕事をしたいと思うようになりました。NHKはアナウンサーが番組を企画できると聞き、ここで子ども番組をつくろうと決めました」

「アナウンサー試験は、両親には黙って受けました。打ち明けたのは、選考が残り10人に絞られた段階です。父(久保晴生氏、元日本テレビアナウンサー)はびっくりしてましたね。海外生活が、日本語をきちんと操るアナウンサーになるにはハンディになると思っていたようです」

「かけだしのころは父によく相談しました。イントネーションはこれでいいのか、こういう言い回しでいいのかとか。持って生まれた天性の才能があったわけではないので、最初は苦労しました。そんなとき、父はいつもアドバイスをしてくれました。今でも相談することがあります」

――子どもの自主性を尊重するのが教育方針だったようですね。

「母はアナウンサーをやめて、英語の教師をしていました。夕方、帰ってくると、まず兄と私をぎゅっと抱きしめて、台所に駆け込む。愛情に包まれていると感じました。でも、親子べったりというわけではない。何かにぶち当たったときは、自分で考え、切り開いていく。そのうえで、いざというときに頼れる関係と言えばいいでしょうか」

「自分が親になって親の偉さがわかりますね。いろいろと言いたくなるのをぐっと我慢して、一歩引いて見守ってくれていましたから。私にはなかなかできません。つい、娘たちに対して『宿題はやったの』『ボタンはちゃんと留めてね』など、ああだこうだと口出ししてしまう」

――両親の性格は正反対だとか。

「父に怒られた記憶はありません。誰かとけんかするのも聞いたことがないほど穏やか。今は好々爺(こうこうや)です。逆に、英語学校の校長を務める母は、何事にも積極的。50歳過ぎてスキーにスキューバダイビング、太極拳を始めました。父が静なら母は動。チャレンジ精神が旺盛なところは母から、争いを好まない性格は父から受け継いでいると思います。私は結婚して17年ですが、夫婦げんかをしたことはありません」

「8歳の次女はしゃべることが大好きで、人と接することが苦にならない。アナウンサーに向いているかもしれません。もし、なりたいと言ったら応援したい。なれたら親子3代です。父は喜ぶでしょうね」

[日本経済新聞夕刊2016年12月27日付]