2020年の東京五輪・パラリンピックに向かって山が動き始めた。電柱・電線の地中化だ。景観や防災上のメリットは認識されながらも、コストの高さが動きを封じてきた。東京都が管轄する都道だけでも今後8000億円近くの費用が発生すると推定される巨大な山。東京都の小池百合子知事は1合目に近づいており、それに呼応する企業もある。
「道路の無電柱化を強力に進める」。16年9月28日の東京都議会。小池知事が長年の持論を明確に言葉にした。電柱・電線の地中化が東京都の正式な政策となった瞬間だ。
電柱・電線の地中化は東京都も1980年代から取り組んできたプロジェクト。資金不足で動きは遅かったが、小池知事が正式な政策に格上げしたことで現実味を帯びてきた。
東京都には都道と区市町村道あわせて75万本の電柱がある。「一気に埋めるのはとても無理」(東京都建設局道路管理部の有江誠剛課長)
そこで東京都は東京23区内を中心に「センター・コア・エリア」と呼ばれるエリアを設定した。JR山手線のすぐ西側を南北に走る山手通りと、東京の下町を流れる荒川に囲まれた地域だ。

東京都はこのエリアでの無電柱化を優先的に進めている。2020年の東京五輪・パラリンピックに間に合うように19年度を達成期限とし、都道についてはこのエリア内の電柱をなくしてしまう計画だ。
東京都によれば対象エリアで電柱・電線の地中化への整備が必要な都道の距離は536キロメートル。このうち15年度末時点で「92%は地中化が完了している」(有江課長)。残り42キロメートルを19年度までに地中化する。これが小池知事が目指す1合目だ。
もちろん、これで電柱・電線の地中化が終わるというわけではない。センター・コア・エリア以外の地域の地中化が残っている。
無電柱化しなければならない都道の総距離は、多摩地区も含めると2328キロメートル(無電柱化済みの部分も含む)。センター・コア・エリア内の都道の電柱を埋めても、まだ全体の38%が無電柱化するにすぎない。
だが、それは関連する企業にとっては商機でもある。電線を地中に埋めるとなれば、電線も変えなければならない。大手電線メーカーのフジクラの伊藤雅彦社長は「新規敷設は地中化となれば大きな需要が見込める」と期待する。
フジクラと古河電気工業はそのまま埋設できる電線の開発にそれぞれ取り組んでいる。現在、電線を埋設するには、直径最大15センチメートル程度の管路に何本もの電線を通すのが一般的だ。これでは管路を通すための工事に多額の費用がかかる。
フジクラや古河電工が開発中の電線は、細い金属管で覆われており、地中にそのまま埋設しても腐食や漏電などの問題が起きない。金属管には溝がついており、容易に曲げられるため工事費用を削減できる。ケーブル同士を接続したり、分岐させたりするときに使う金属部品の小型化にも取り組んでいる。
古河電工は、神奈川県海老名市で子会社の工場を近く稼働させる。投資額は20億円。電線の接続などに用いる部材を生産する。東京都が進める電線の地中化で部材の需要が高まると判断した。
電線を地中に埋設するのに使うコンクリート製品でも呼応する動きがある。イトーヨーギョーはすでに埋設物があるような場所でも電線を地中化できるようにするため、小型のコンクリート製のボックスの開発に取り組んでいる。製品化を見越し、地方自治体や国にPRしている。
小池知事の前に立ちはだかるのが費用負担の問題だ。
電柱・電線の所有権は東京電力ホールディングス(HD)傘下の東京電力パワーグリッドとNTT東日本などにある。東京都が地中化しようとした場合、主にこの2つの民間企業の了承が必要になる。
東電パワーグリッドは公益企業として「都に100%協力していく」(今別府誠・配電部グループマネージャー)。NTT東も埋設には協力する姿勢を示す。
だが、ことはそう簡単ではない。了承を得て埋設に踏み切った場合、費用の3分の2は東京都と国が負担するが、残り3分の1は主として所有者である東電パワーグリッドとNTT東などがまかなわなければならない。
電線を1キロメートル埋設するのにかかる費用は5億3000万円とされる。19年度までにセンター・コア・エリアを無電柱化する計画に協力するとなると、東電パワーグリッドの負担額は75億円程度、NTT東などは10億円程度になるもよう。都道にあるすべての電柱・電線を地中に埋めるとすれば、東電パワーグリッドは2000億円強、NTT東は500億円強の負担になる見通しだ。
NTT東の親会社のNTTは17年3月期の連結純利益が7700億円になる見通しで、こちらは負担能力がありそうだ。問題は東電パワーグリッドの方だ。
親会社の東電HDでは、福島第1原子力発電所の廃炉や賠償の費用が20兆円を超えるとみられ、収益を生まない案件への支出は難しい。都市の美観や防災上の意義はあるにせよ「1円でも削りたい」というのが本音だ。
東電パワーグリッドは16年9月、配電部内に電柱・電線の地中化に関する専門組織を設けた。3人を配置し、「電線の材料のイノベーションや資金調達の効率化などありとあらゆる方法を検討している」(今別府グループマネージャー)。
電柱の間隔はおよそ30メートル。全国にある電柱の数はざっと3500万本。今の工事代金で全国の電柱と電線を埋めるとなれば、500兆円を超える規模になる。財源捻出や工事費軽減で官民が協力して、この巨大な山を小さくできれば、東京、ひいては日本の品格を高められる。