ミュージカル『わたしは真悟』 高畑充希、門脇麦熱演
日本の漫画が世界の演出家や振付家をいかに刺激しているか。近年、その影響力の大きさに驚かされることが多い。フランスの気鋭の振付家フィリップ・ドゥクフレが演出したのは、なんと恐怖漫画の第一人者、楳図かずおの伝説的漫画「わたしは真悟」だった。どうなるかと思いきや、これがビックリ、実に個性的な舞台になっていた。
真鈴(まりん)と悟。小学生のカップルが恋をし、なにもわからず子供をつくろうと考える。すると奇跡が起こり、工場の産業ロボットが心をもち始め、ふたりから1字ずつとった子、真悟が誕生する。機械が知能をもつことはありうるのか。神や秘蹟(ひせき)にまで踏みこむ破天荒な漫画はそもそも舞台化不能に近く、苦心の台本(谷賢一)とはいえやはり難解。けれど……。
高畑充希の真鈴、門脇麦の悟が東京タワーの頂きで、夜空に飛び移る場面。下界でパニックに陥る大人たちがおそれおののく奇怪な群舞がめざましい。異様な姿態を強調しつつ、スタイリッシュだ。ガランとした舞台空間が、あたかも恐怖漫画の張りつめた余白のよう。一直線に突き進む高畑、性差を軽々と超えて少年を演じる門脇の身体が神秘の時間を呼び寄せる。宙にふわふわ浮く感覚、虚空にしみだす孤独な心。身体がかもしだす寂寥感(せきりょうかん)は舞台でしか出せない感覚だ。振付家の才気がはじけている。
ロボットの無機的な操作音が意識の芽生えを印象づけるシーンに、人工知能の時代を先取りする衝撃力がある。真悟と名づけられた幻の身体が、成長著しい成河の瞬発力でリアルに躍動する。「333のてっぺんから……」と歌いながら踏むステップが抜群の面白さで、ジグザグに歩いた子供時代の帰り道を思い出させるではないか。
1961年生まれのドゥクフレはヌーヴォー・シルク(新しいサーカス)の旗手で、アルベールビル・オリンピック(1992年)の開会式・閉会式やシルク・ドゥ・ソレイユの演出で知られる。空中を自在に活用する手腕は、目から鱗(うろこ)が落ちるような舞台芸術の革新を実感させる。巨大ブランコに揺られる子供は今にも空に吸い込まれそう。楳図漫画の本質である少年少女の特権的な時間、永遠の一瞬を確かにとらえている。
ここ何年か、日本の漫画を舞台化する試みが相次いでいる。手塚治虫を敬愛するベルギーの振付家シディ・ラルビ・シェルカウイは森山未來と組んで「鉄腕アトム」を題材にした「テヅカ Tezuka」(2012年)、アトムを下敷きにした浦沢直樹のロボット漫画「プルートゥ PLUTO」(15年)を発表した。また日本の演出家、栗山民也はやはり手塚治虫の「アドルフに告ぐ」(15年)を舞台化している。どれも未完の印象がぬぐえない舞台にもかかわらず、強い印象を残した。
難産だったに違いない今回も、舞台のほころびは少なくない。影絵あり映像あり漫画の引用ありで、いささか趣向が過剰、シュールな展開と台本がかみ合わない。国際的な合作は容易でなく、時間がいくらあっても足りないという創作ではあっただろう。が、若い日本人スタッフ、ことに透明感のある音楽(トクマルシューゴ、阿部海太郎)や詩的な歌詞(青葉市子)はたたえるべき。あっと驚く創作舞台をなしとげる潜在力を日本の新世代たちはもっている。
残念ながら、優れた創作劇の書き手は絶対的に不足している。小説や漫画をもとに、時間をかけて台本をつくる仕事がますます重要になっている。演劇界にとっての最大の課題とさえいえるだろう。
未完の大作とはいえ、これほど刺激的な創作ミュージカルはなかなかないのも確か。神奈川芸術劇場の芸術監督になった白井晃が演出協力した。ホリプロ企画・制作。
神奈川芸術劇場のプレビュー公演を所見。2017年1月8~26日、新国立劇場中劇場。
(編集委員 内田洋一)
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