横山幸雄25周年のショパン(前編)「バラード第1番」
ピアニストの横山幸雄さん(45)が2016年度にデビュー25周年を迎えた。1990年ショパン国際ピアノコンクールにて19歳で3位に入賞。以降、ショパンの作品を中心に国内外で演奏活動を続けている。ショパンの全作品を楽譜を見ずに1~2日で弾く全曲演奏会も重ね、ギネス記録を打ち立てて世界を驚かせた。彼のピアノ芸術はどこへ向かうのか。自らオーナーを務める東京・南青山のイタリアレストランでショパンを弾きながら語った。
艶やかに揺れ動く分散和音のリズムに乗って、哀愁を帯びた甘美なメロディーが浮かび上がる。ショパン作曲「バラード第1番ト短調作品23」。青春の憂いと憧れが交錯するショパン初期の傑作だ。ロマン・ポランスキー監督の映画「戦場のピアニスト」で主人公のユダヤ人ピアニストが弾いて広く知られた曲でもある。冬の厚い雲が空を低くした12月13日、横山さんは自ら経営する「リストランテ ペガソ」に置かれたスタインウェイのピアノで「バラード第1番」を弾き始めた。華麗で豪放、速度と強弱を大胆に加減し感情の起伏を映す演奏は、現代のピアニストには珍しいほどスケールが大きく、ルービンシュタインやホロヴィッツら大ピアニストの時代への郷愁も感じさせる。
2017年1月21日、サントリーホール(東京・港)で催す「デビュー25周年記念 横山幸雄ピアノ・リサイタル」にも「バラード第1番」がしっかり演目に入っている。「2010年から毎年5月のゴールデンウイークの時期にショパンの長い演奏会をやっている」と、今や彼の代名詞ともなっている「ショパン全曲演奏会」について話す。しかし「ショパンの全曲を弾いてきたのは、彼の作品の全貌を知りたいからであって、全体を見渡せたら、知識として分かっていればいいという作品もある」と言う。一方で「弾き込むごとに自分にしか表現できないものがよりあると思える作品を見つけられたら、それを突き詰めていこうと思っている」。
■ショパン弾きならば全曲を知っていて当然
25周年リサイタルで演目に選んでいるショパンの曲はいずれも横山さんにとって今後も突き詰めていこうと考えている作品だろう。「バラード第1番」「幻想即興曲」「ノクターン第20番(遺作)」、それに「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22」の4作品が演目にある。「子供の頃はレコードを聴いて音楽を体験していたから、ベートーベンやチャイコフスキーがすごく好きだった」。ピアノでたくさん弾くようになってからショパンが好きになったという。「中学生のときに(ショパンの祖国である)ポーランドからピアニストの先生が来て、公開レッスンで『バラード第2番』を演奏した」のが直接の始まり。ショパン国際ピアノコンクールに出場し、入賞したことが、その後のショパンへのこだわりを一段と強くしたようだ。
「ショパン弾きとか、ショパン好きというピアニストっていっぱいいると思うけど、僕のイメージではそういう人は当然ショパンの全部の作品を知っていると思っていた」と話す。「ショパン弾き」ならば全作品を知って弾き尽くすのが当然だ。そう考えて2010年から毎年ゴールデンウイークの時期にショパンの長い演奏会を続けている。「初めの5年間はほぼ全曲を弾くことにこだわった。初年の2010年は、作品番号を付けてショパン自身が出版したすべての作品と、のちに出版された主な遺作を演奏した」。完全暗譜による全166曲の公演は16時間半に達し、TOKYO FMが生中継した。「1人の演奏家が24時間に演奏した曲数」でギネス世界記録に認定されるなど一種の事件となった。
■完全暗譜の全曲演奏でギネス世界記録
挑戦はこれにとどまらない。166曲は真の全曲ではなかったからだ。翌2011年の5月には、幼少期の習作や作品番号無しの曲も含め「現存するショパンのピアノソロ作品」のすべて、全212曲を暗譜によって18時間で弾き通した。これで自らのギネス世界記録を更新。さらに3年目の2012年5月には「ピアノ協奏曲」のピアノをソロで弾くバージョンも入れた。全曲を完全に暗譜して連続演奏することは、常識的には考えられない離れ業だ。「僕は変人代表」と今回のインタビューでも冗談を言って笑いをとるほど余裕を感じさせる人だが、確かに常人ではない。
ただ、全曲演奏会には「非常に演奏時間が長くなる」というマイナス面もある。朝から深夜まで延々と有名無名のピアノ曲を聴き続けるのはつらいと思う聴衆もいる。横山さんのピアノを高く評価する音楽評論家の中からも「アクロバティックな演出が目立つ」という批判がささやかれることもあった。本人もそれを自覚していたのだろう。「2015年から18年までの4年間をかけて、ショパンの人生を4つに区切って、その時々のエピソードの話を入れながらそこに重心を置いて、弾いて聴かせる」と言う。「じっくり鑑賞型」のスタイルに変えてショパン全曲もしくは専門の演奏会を続けていく考えだ。
■選び抜いた作品を突き詰めて弾く
「ショパンのすべての作品を同じ品質で演奏することが一人の人間として可能かと言われれば、本当に突き詰めようとすればできないものがやっぱり出てくるはずじゃないかなというふうには思っている」。ショパンのような大作曲家でも自作への思い入れの強弱はあったはずで、必ずしもいつまでも全曲を弾き続ける必要もないといえる。そうした中で「バラード第1番」や「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」などは横山さんが今後も思いを込めて突き詰めていく作品となるはずだ。
サントリーホールでの25周年記念リサイタルの演目には、ショパンのほかにモーツァルト、シューマン、シューベルト、リストの作品もある。「25年間弾き続けた作品に加え、最近になって取り上げるようになった曲、久しぶりに弾く曲など、いろんな形で僕と関わりのある作品を選んだ」。演奏の完成度の高さ、即興性、自由さ、という3つの要素を共存させる記念公演にしたいという。今回の演目予定には入っていないが、「ベートーベンはショパンと並んでピアニストにとって最も王道的な作曲家」と話す。「ショパンとベートーベンとそれ以外という3つの柱」で今後の演奏活動を組み立てていく考えだ。ショパンの全曲を記憶し見渡した今、愛し選び抜いた曲はいよいよ深い魅力を放つだろう。
(映像報道部 シニア・エディター池上輝彦、槍田真希子)
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