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中央葡萄酒の三沢茂計社長

中央葡萄酒の三沢茂計社長

日本固有の甲州ブドウから造る日本ワイン「甲州」が、国内外で脚光を浴びている。立役者の一人が、中央葡萄酒(山梨県甲州市)の三沢茂計社長(68)だ。早くから世界に目を向け、甲州のレベルアップに尽力してきた。そんな三沢社長の体の中を流れるのは、日本経済の成長を支えてきた企業戦士のDNAだ。

創業は1923年。三沢社長の曽祖父、三沢長太郎氏が勝沼町(現在の甲府市勝沼町)に万屋を開業、「長太郎印葡萄酒」を売り出した。

3代目の父親、元興銀マン

「周囲にはすでに醸造家も多く、曽祖父もそれに刺激されて始めたようです。ただ、ワイン造りはあくまで片手間で、自分で醸造していたわけではなかったようです」。三沢社長の父にあたる3代目の一雄氏は、大学を卒業すると、家業は継がず、日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に就職した。

「興銀での父の上司に、後の頭取で、経済同友会代表幹事などを歴任した中山素平氏がいました。父は中山氏をとても尊敬しており、様々な面で非常に影響を受けたと話していました。しかし、父はしばらくして体を壊してしまい、勝沼に戻ってくることに。ところが、家業はすでに弟が継いでいたので、父はワイン部門を譲り受け、株式会社にしました。それが中央葡萄酒です。そこから本格的なワイン造りが始まりました」

「当時は今ほどワインが売れなかったので、父はかなり苦労していました。しかし、銀行マンをしていた経験からか、地元だけではなく、大きな市場で売ることを常に考えていたようです。例えば、日本海溝調査のための深海調査船を積んで日本に入港したフランス海軍に、ワインを売ったことがありました。書類上、輸出でしたが、あんなに大量のワインを一度に輸出したのは日本で初めてだったのではないでしょうか。私は小学生でしたが、停泊中の軍艦の上で歓待され、サイン帳に自分の名前を初めて英語で記入したので、今でも覚えています」

三沢氏のブドウ畑

三沢氏のブドウ畑

「父は文化人でもありました。当時としては珍しく英語を話し、また、ドイツ語の歌をよく歌っていました。面白いのは、父の造ったワインの中に、裏ラベルに『フランスワイン』と印字されたワインがあるんです。だます意図ではなく、日本で主流だった甘口ワインに対し、食事と合う辛口ワインということを強調したくて付けたものでした。当社のブランド名である『グレイスワイン』は、父がギリシャ神話からとって名付けたものです」

三菱商事から、逆風下のワイン造りへ

三沢社長は、大学卒業後、三菱商事に就職。プラスチック素材を扱う部門に10年間在籍した後、82年、家業を継ぐために退職し、一雄氏の指導を受けながらワイン造りを始めた。だが、ちょうどそのころ、日本のワイン業界には強烈な逆風が吹き始めていた。

「ワインブームや円高で、輸入ワインがどんどん日本に入り始めていました。危機感を抱いた私は、甲州の品質向上に取り組むために、地元の意欲的な若手醸造家に声を掛け、87年、『勝沼ワイナリーズクラブ』を組織しました。長年地元を離れていたので、人集めは、仲の良かった丸藤葡萄酒工業(山梨県甲州市)の大村春夫君に頼みました」

「クラブの成果の一つが、シュール・リーと呼ばれる製法の習得です。ワインは通常、発酵後に酵母を取り除きますが、シュール・リーは酵母をしばらくそのままにしておきます。こうすることでワインの風味が増すのです。成功の陰には、日本ワインの父ともいわれるメルシャンの醸造家、故・麻井宇介(本名・浅井昭吾)さんの熱心な指導がありました。麻井さんには、とても感謝しています」

89年、父から経営のバトンを受け継いだ三沢社長だったが、輸入ワインの勢いは止まらず、苦戦は続いた。それでもくじけずに、欧州式のブドウ栽培方法を取り入れるなど、甲州の生き残りをかけ、試行錯誤を繰り返した。

■英国からの追い風、輸出を開始 

そうした中、ある"事件"が起きる。世界のワイン市場に大きな影響力を持つ英国人ワインジャーナリストのジャンシス・ロビンソン氏が、2000年、英紙フィナンシャル・タイムズ紙上で、「グレイス甲州」を「日本のオリジナリティーを持つワイン」として絶賛した。三沢社長の地道で粘り強い努力が実を結び、風向きが大きく変わった瞬間だった。

「あるワイン業者から甲州を輸出したいという話がきて、輸出プロジェクトが動き出しました。また、麻井さんや海外のワインの権威から、世界のワイン市場の中心地ロンドンで勝負するよう、助言を受けました。品質面では、仏ボルドー大学の有名な醸造学の教授から直接、指導を受ける機会を得たのが大きかった。日本オリジナルの甲州で、世界で勝負したいという気持ちは以前からありましたが、様々な出来事が重なり、挑戦してみようという気持ちが強まりました」

「こうして欧州への本格輸出が始まりましたが、甲州の知名度を世界に広めるには、地域一丸となって取り組む必要があります。そこで09年、県内のワイン生産者15社が中心となり、甲州を欧州市場に売り込むための組織『Koshu of Japan (KOJ)』を設立。翌10年から、ロンドンでプロモーション活動を始めました」

国内の日本ワインブーム、海外の和食ブームの追い風を受け、甲州の人気、知名度はかつてなく高まっている。だが、三沢社長は、けっして楽観していない。

「ワインの世界でもグローバル化はどんどん進んでいくことでしょう。だが、市場が大きくなれば当然、競争も激しくなる。その中で、甲州が世界で通用するためには、アイデンティティーとオリジナリティーが大切です。ただし、独り善がりはいけない。世界で通用するには、みんなが納得する客観的な評価を得る必要があります。そのためには、日々、自分を省みながら改善を重ねていくことが重要だと考えています」

(ライター 猪瀬聖)

前回掲載「世界に挑む甲州ワイン造り、父から娘に」では、三沢社長の長女で「世界の甲州」をめざす醸造家、彩奈さんに語ってもらいました。

「キャリアコラム」は随時掲載です。

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